44歳になりました。 9月20日のできごとから  戻る。戻る


9月20日は,誕生日でした。
この歳になると,誕生日と言われてもあまりうれしいものではありません。
でも,自分の娘が,ケーキにロウソクを立てて,吹き消すのが大好きで,誰かの誕生日だと喜ぶので,最近は,それが好きになっています。
若い頃は,あまり体力の衰えを感じることもありませんでしたが,最近は,朝起きると腰の痛みで目が覚めたり,右手に力を入れると腕が痛かったり・・・・。
情けない話ですが,自分だけはいつまでも元気だと思っているのに確実に体は,危険信号を出しているようです。
よくCMで,「目・腰・肩に○○○。」なんてよく聞きます。
自分だけは,そんな苦しみなどないだろうと思っていたのに,まさにその通り。
階段を上ると膝が痛かったり,目は,もちろん,腰,肩と違和感を感じたりすることが多くなってきました(多分に体重オーバーが原因なんですが・・・・)。
普段,ろくに体を動かさず,運動もまるでしないのですから無理もありません。
考えると定年まであと16年。
まだ16年も働かないといけないんですよ。
まだまだ気力・体力を充実しておかないと元気な子どもたちと接していくことはできないだろうと思っています。
教員をやめるまで,子どもたちとライブ感覚で接していたいと思うので(それができなくなったらやめます),体力だけは維持しておかないと・・・・と気持ちだけはもっているところです。


現在,附属小学校では,教育実習中です。
今年から広島大学教育学部の学部改組に伴い,教育実習のシステムも変更になりました。
本校にも小学校免許を取得するための学生が,本校や附属東雲小,附属三原小などに分かれて,5週間の教育実習をすることになりました。
昨年までは,中・高校教員志望のための教育実習として,春と秋に4週間行われていました。
本校に来る学生は,教育学部だけでなく,経済学部や法学部など大学教官を目指すような学生も来ていました。
でも,今年から9月から10月にかけて約5週間の教育実習が行われるようになりました。
小学校教員を目指す教育学部の学生が,各クラスに平均5名配属され,日々学生たちと子どもたちとの熱気であふれた学校になっています。
子どもたちにとっては,若い教生と遊んだり,いろんな話をしたりするのが一番の楽しみであり,教育実習を心待ちにしています。
私が,担当している1部4年の配属の教生は,みんな意欲的でまじめに取り組んでくれています。
1日を振り返る反省会では,学級担任の目が届きにくい子どもたちの様子や各教科の指導方法について,多くの気づきが出されます。
学級担任関係では,子どもの見方や指導の仕方,学級づくりに関することが主になりますが,教生たちの顔が,日々変化するのを見るのも楽しみです。
教科指導では,私が担当している社会科にも15名(18時間)が実地授業を担当するために,放課後になると学生が,入れ替わり,立ち替わり研究室を訪れて来ます。
学生は,国語や算数,理科,体育,音楽などの教科の実地授業をするために,とても意欲的に取り組んでくれているようです。
各教科の教官の使命は,学習指導案作成のための指導が主になりますが,大学において子どもの実態を加味した学習指導案の作成をしたことがない学生にとっては,なかなか困難なことのようです。
中でも学習指導案の中核となる学習活動・指導の意図と手だて・評価と分けて作成する意味が分かっていないので,書き方や表現の仕方なども様々なレベルです。
中には,下書きなのか清書なのか,指導案なのかただのメモなのか分からないものもありますが,「自分も最初は,そうだったなぁ。」と思いながら学生に指導しています。
「社会科」とは,どんな教科で,どんな指導が必要なのか,小学生という子どもの実態に即して,自分では,「教科教育」を意識した指導をしているつもりです。
でも,教生にとっては,国語も社会も理科も体育も同じ授業という目でしか見ることができない(もちろん,同じ授業に変わりないのですが・・・・)。
各教科指導の意識がなかなかできないことに,大学における教科教育(広大の学生でさえそうなのだから,一般の大学では皆無なのだろうなぁと思っています。)の難しさを感じています。

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1部4年では,朝と終わりの会のときに,その日を担当する教生が子どもたちに,スピーチをすることになっています。
事前に考えてスピーチをしたり,行き当たりばったりでスピーチをしたりと様々です。
9月20日の朝の会で,1部4年の子どもたちが取り組んでいる川柳を取り上げ,交通事故に関するスピーチをした教生がいました。
終わりの会でも,同じように川柳の話題を取り上げ,「おめでとう お誕生日 關先生」と黒板に書いて,クラス全員の子どもたちが唱和してくれました。
子どもたちから,誕生日のことをお祝いしてくれるのはうれしいことです。
でも,子どもたちにほとんど誕生日のことをお祝いしていない自分がしてもらうことには心苦しいものです。
1部4年にも9月生まれの子は,3名いました。
それぞれに9月は,楽しみな月なんだろうと思います。
子どもたちは,今年10歳になる年齢です。
10歳〜15歳ぐらいの頃に吸収したものは,一生ものです。
今のうちにどんどんいろんなことを吸収してほしいと思っています。


ふと自分自身のことを見渡してみると,新しいパソコンが欲しい,新しいクルマがほしいなどとモノに対する欲求もありません。
若い頃のように,着たい服もなければ,手に入れたいグッズもありません。
現段階で欲しいものは,手に入れているということもありますが,魅力あるものがないのです。
この頃は,女性にもまったく魅力を感じないし(感じてもどうなるものでもないし)・・・・,考えてみると,本の原稿を書きたいとか,論文にしたいなどということ以外に,なかなか目標がなくなってきたように思います。
「自分の家を建てたい。」という夢は持ち続けていますが,あまりにも高い目標(お金がない)すぎて,自分の今の目標にすらできません。
今年の44歳誕生日は,日本の今の経済状況そのものの感じに思えました。


子どもたちではありませんが,まだまだ自分探しの旅をしないといけないようです。
ただ,その日その日のできごとを楽しいと思いながら生活することが大切なんだろうと改めて思っています。
その楽しいことの一つは,娘のことです。
今年の10月で5歳になる娘は,そのしぐさや笑顔を見るだけで,とてもしあわせな気分にさせてくれます。
他人から見ればただの子どもなんでしょうが,自分にとってかわいくて仕方ありません。
このまま病気や大きなけがをしないで,元気なままで大きくなってほしいと心から願っています。
自分とは40歳も離れているので,自分が仕事をリタイアできる定年になってもまだ大学生ぐらいだろうと思います。
もちろん,小学校の高学年や中学生になれば,「お父さんなんて嫌い。」なんて言われるかも知れません。
でも,それまでにもあと5〜6年は,つきあってくれるでしょう。
ここ5〜6年は,娘の成長を楽しみに生活をしているところです。
人間は,限られたしあわせな量で生きているとよく言われます。
でも,しあわせな人は,次々としあわせが訪れ,不幸な人は,いつまでも不幸なんじゃないかと思うこともあります。
ただ,現状において,娘がこの世に存在してくれていることで,自分のしあわせの大部分を占めてくれているのだろうと,よく妻と話します。
決して,経済的にも満足できる状態ではないけれど,厳しい世の中の状況で,こうやってしあわせに暮らせることが,一番なんだろうと思っています。

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今年のケーキのロウソクも娘が,何度も息を吹きかけ消してくれました。
「あなたの 誕生日に 22本の ロウソクを立て 一つ一つが みんな君の 人生だねって言って 17本目からは 一緒に火をつけたのが・・・・」
なんてフォークソングを歌っていたのは,もう20年以上も前のことです。
22本のロウソクだった自分が,今では2倍の数が必要になっています。
44なんて聞くと「ぞっ!」とします。
新聞記事やテレビの事件報道などで,「○○○さん(44)」と見たり,聞いたりするといいオッサンを想像してしまいます。
みんなもそのような目で見ているんだろうなぁと悲しくなります。
でも,歳だけはどうなるものでもないし,石原慎太郎さんではないけど,「老いてこそ人生」とも考えています。
芸能人を見ても歳をとるにつれて素敵な落ち着いた顔になっている人は,すごいなぁと思います。
あの人は,今・・・・なんて言うのに出ている人を見ると,個人差がすごいですよね。
全然変わってない人,昔の面影もないほど老けている人,それぞれです。
まぁ,芸能人の場合は,最近は,整形なんて秘技もあるかも知れませんが・・・・。
この前も朱里えいこさんには,ぶっ飛びました。
あれほど変わる人も凄いですね。
しかもテレビに出て歌うのですから,また凄い。
余程,昔を追いかけているのかも知れないですね。


でも,最近,あっという間に時間が過ぎ去っていきます。
1日1日も早いのですが,1年もあっという間です。
学校にいると余計早く感じています。
特に,今年のクラスの子どもたちは,みんな明るくて陽気な子が多く,ジョークも通じるし,大きな問題もないので,とても気持ちよく楽しく過ごせています。
でも,今のクラスもあと半年になってしまいました。
来年になるとクラス替えがあり,また1からのスタ−トだと思うと・・・・,今の時間が,ゆっくりと流れてくれることを願っています。


今までの自分は,いつも何かに追われているような気ぜわしい感じで過ごしてきたような気がしています。
何か途方もない目標に向かって,自分を信じてがんばっているようなところがありました。
何もできないのに。
まわりにいる人だって,仕事の面で自分を応援してくれる人はあっても,それは表面上だけです。
考えてみると身内でもない関係のない他人のことをサポートをしてくれる人なんていないことも分かってきました。
厳しい時代になり,安定した職があることだけでも喜ばないと,と思っています。
自分の子どもたちも就職なんてできるんだろうかと最近では,そちらの方の心配をしています。
叶いもしない夢を追いかける時間もムダに思えています。
冷静に分析すれば,10年前に分かっていたことですが,そのころの自分には,何が必要で,何が大切なのかということを分かっていなかった気がしています。
四国山地の田舎に赴任して,たった3名の子どもたちと過ごしていた時,そこでの教育での意味づけが,自分にできなかったことを深く反省しているところでもあります。
「地域に僻地あれど,教育に僻地無し。」
その言葉が今でも自分の脳裏をかすめます。


無意味な時間には,少々疲れてきました。
精神的にも肉体的にも,のんびりと,ゆったりと過ごすことが今の自分には必要なんじゃないかと正直思っています。
44歳。
人生のUターンの時期なんでしょうか。
それとも,とっくにUターンをしているのかも知れないですね。
自分の父は,73歳でこの世を去ったことを考えても最低でもまだ30年は時間があるだろうと思います。
それ以上生きたら家族にも余計な負担になると思うので。
これからの30年を無意味な時間にしないように,もう一度自分の足元を見つめ直して,有意義な生活でしかも,シンプルライフにしていきたいと思っているところです。


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