命また燃えたり  命また燃えたり   戻る。戻る 


2001年9月。
友人が,42歳という若さでこの世を去ってしまった。
あまりにも早すぎる死である。
その友人は,高校時代からのラグビー部仲間であり,同期のメンバーで組織している伍味会の一員である。
メンバーの中では,愛称で「キンちゃん」と呼ばれていた。
いつもニコニコと笑っているところから高校時代に命名された。
高校時代のラグビー部では,スタンド・オフとして活躍した。
左右両足から放たれる正確なパント・キックと,トライ後のゴールを狙うプレスキックには,定評があった。
ラグビーに限らず,運動能力には非凡なものがあった。
高校時代の体育の授業でも,どの種目でもそつなくこなしていた。
持久力はなかったが,瞬発力や跳躍力,スピードにも目を見張るものがあった。
そんなキンちゃんもラグビー部の練習では,入部当初は,体力不足で,ダッシュやランパスの練習ではよくリタイアしていた。
ニコニコしながらリタイアするので,先輩にはよく怒られていたが,性格がいいので,あまり攻められない得な人柄であった。
成績も優秀で,ラグビー部の中では,数少ない秀才であった。
地元の大学の工学部から大学院に進み,県庁の建築土木課に就職して,将来を期待されていた。
いつもニコニコ笑って,口数の少ない男で,自分を主張するのが苦手なところもあったようだが,最期まで白血病と闘い,壮絶な死だったようである。


葬式の日。
運動会の前日であった。
それぞれに忙しい仕事がある中で,メンバーが全国各地からほとんど全員が顔をそろえた。
熱心なクリスチャンであったキンちゃんの葬儀は,見慣れた葬式の風景はなかった。
友人や職場の仲間のスピーチのみで構成され,キンちゃんの好きだったオフコースのBGMに,遺影も高校時代そのままの顔。
メンバーは,高校時代にタイムスリップしたような感覚になった。
翌日が,附属小の運動会だったので,さすがに飲み会には参加できなかったが,葬儀の後で,みんなで食事をした。
最近は,一生つきあうというような友人関係はできないと思っているので,仕事以外のつきあいはほとんどしていない。
高校時代からの友人に会うと何とも言えない気持ちになれる。
高校は,坊っちゃんで有名な旧制松山中学。
地元ではエリート意識があったが,ラグビー部員は,学業そっちのけで,ラグビーに没頭していた。
授業は,睡眠&休憩時間であり,ひたすら体を休める時間。
頭を使うと疲れるので先生の話はなるべく聞かないようにしていた。
時には,休養をさらに深めるために,図書室へ逃げる。
図書室は,冷暖房が完備しており,睡眠には最適だったからだ。
逃げると必ず,図書室にいるのは,ラグビー部かバスケットボールあるいは,ハンドボール部員だった。
それにしても,授業中はよく寝た。
ひどい時は,一時間目に世界史の授業があり,そのまま眠ってしまい,気がつくと現国の授業になっていた。
現国は,何と6校時。
誰も起こしてくれないのだからもっとひどい。
世界史の教科書は,ヨダレの渦。
それから,ゆっくり起きて弁当を食べ,部活に臨んだのは言うまでもない。
そんな高校時代を過ごしていた。
そんな劣等生の自分でもマスコミ関係に就職して,プロ野球中継と深夜のDJをするのが夢だった。
当然無理な話で,現在に至っている。


ただ,一生つきあえる友人に恵まれたのが,欠けがえのない財産になった。
5年前,最愛の娘が亡くなった時,ひどく落ち込む日が続いた。
ふだん,はがきや手紙など書かないある友人が,下手くそな字で,手紙をくれた。


 「・・・・夏の暑い日。
 東高のグランドで何度もキックダッシュやランパスをしたことを想い出してほしい。
 いつも元気で大きな声を出していた關には,いつまでも元気者でいてほしい。
 早く元気になれ。・・・・命また燃えたり。」
と最後に綴られていた。
下手くそな字の手紙であったが,涙が溢れて止まらなかった。
命また燃えたり
これは,高校時代の校歌の一節である。
一生立ち直れることはできないのだが,前向きにがんばれる支えになっている。
そんな高校時代のいい加減な男たちが,それぞれの職場で活躍している。
銀行の支店長から市役所職員,中学校教師,会社経営などなど。
キンちゃんは欠けてしまったが,会えば何も気にせず酒に酔える大切な仲間である。
仕事関係を抜きにしてつきあっているので,いつも共通の話題である学生時代の話題で盛り上がっている。
暑い夏,ドシャブリの雨の中,手が悴む寒い冬,みんなでグランドを走り回った共通の想い出でつながっているのだ。
「ガッテンショイ。ショイ。」
と叫びながら・・・・・。
我が子の将来を考えると不安である。
でも,一生つきあえる友人,仲間に巡り逢ってほしい。
ただそれだけが願いである。
命また燃えたり


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