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ゲ−トボ−ルのこと。ゲートボールのこと 戻る。戻る

 ゲートボールは,松山のたちばな小学校で始めたスポーツ。小学生がゲートボールをするというので,当時は,新聞やテレビで取り上げられた。全国初の小学生でのゲートボールクラブということで注目もされた。松山市で小・中学生ゲートボール大会を開催するきっかけを与えた。このスポーツは,なかなか奥が深く,将棋のような知的能力を必要とする上に,スキルも重要。3つのゲートと1本のゴールポールをおよそ15m〜20mの広さのコートで行う。1チーム5人で構成する。奇数と偶数に分かれて,じゃんけんで勝つと当然奇数を選択する。奇数の方が有利だからだ。1番から交替でボールを打ちながらゲームを進めていく。1〜10まで打っていくと,また1番に戻る。通常1試合30分でゲームを行う。第1ゲートを通過しないとゲームに参加できないという基本の基本がある。途中で味方や相手にボールが当たるとスパーク打撃という技が必要になる。このゲームのおもしろさは,ゲートが一方通行になっていることと,ゲートを通過すると一打プラスされることなどルールのおもしろさにある。得点は,1ゲート通過すると1点を獲得する。最後のゴールポールに当てるとプラス2点が与えられる。だから,一人最高5点を獲得する。5人では,合計25点が満点である。5人全員が上がってしまえば,30分になっていないところでも終了する。いわゆるコールドゲームである。自分一人だけ上がってもチームとしての合計点で勝敗が決するので,仲間を助け合いながらゲームをするところもなかなか奥が深い所以である。

 昭和61年にゲートボールクラブを発足する。最初は,道具がないので,木でスティックを作り,ソフトボールをボール代わりにして練習していた。その噂を聞きつけた地域のお年寄りがクラブの時間にひょっこり現れるようになり,どんどん輪が拡がっていった。
 その年の2月には,第1回たちばな地区三世代交流ゲートボール大会を開催する。マイケル川口やノモトザル,スヤマネェサンなどが活躍。クラブ日誌と評して,みんなで交換日記をしていた。みんながいろいろな技をイラスト入りで考えてくれた。自分にとっては,教員として一番楽しかった時代かも知れない。大学院から戻って再びゲートボールクラブを受け持ち,三世代交流ゲートボール大会では,自分もチームの一員に加わり,老人チームを次々と撃破。優勝を飾る。その時の感動は今でも忘れられない。また,みんなとゲートボールをやりたいなぁ。

 最近,今の学校の子どもたちとゲートボールを教えてあげようとやってみた。技術が伴わないのでおもしろいレベルまでなかなか到達できない。やっぱり年間を通してクラブのようにしててやらないとうまくならないし,うまくならないとおもしろくないということがよく分かった。


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