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ラグビ−のこと。ラグビーのこと   戻る。戻る

 高校時代。まさに青春の一こま。愛媛県立松山東高校ラクビー部。松山東と言えば,坊っちゃんで有名な旧制松山中学である。県下一の進学校であり,何と自分たちの時代には,1学年500名の生徒のうち,ほとんどの生徒が,国立大学や有名私立大学へ進学というエリート校であった中で,燦然と輝くラグビー部員たち。学業成績はそっちのけで,ラグビーに没頭していた。授業は,睡眠&休憩時間であり,ひたすら体を休める時間。頭を使うと疲れるので先生の話はなるべく聞かないようにしていた。時には,休養をさらに深めるために,図書室へ逃げる行動をとる。図書室は,冷暖房が完備しており,睡眠には最適だったからだ。逃げると必ず,図書室にいるのは,ラグビー部かバスケットボールあるいはハンドボール部員だった。

 それにしても,授業中はよく寝ました。ひどい時は,1時間目に世界史の授業があり,そのまま眠ってしまい,気がつくと現国の授業になっていた。現国は,何と6校時。誰も起こしてくれない。ハハハ・・・・。世界史の教科書は,ヨダレの渦。それから,ゆっくり起きて弁当を食べ,部活に臨んだのは言うまでもない。

 ラグビー部では,井手盛章先生の存在が大きい。大学卒業して間もない先生は,体育の授業でもお世話になったが,その爽やかさは,今でも深く印象に残っている。昼休みになると,井手先生が仲間の先生とテニスコートで,硬式テニスを楽しそうにしていた。そのような先生になりたくて,高校時代は,高校の体育教師を目指したこともあった。途中で夢破れたが・・・・。

 ラグビー部の集まりは,「伍味会」(ごみかい)という集団を組織して,1年に1度,13名プラス2の仲間が,必ず1月2日に集まるようにしている。だんだんと参加するメンバーも限られてきたが,減ることはない。いつ会っても高校時代に戻れるような楽しさがたまらない。

 レギュラーメンバーは,不動の15名。FW左P1石丸(マルーフ)F2高橋(写真館)右P3菊池(ワル)L4升岡(マス・醤油頭)L5八木(コッテウシ・五明牧場)FL6丹比(タジ)FL7福富(お富さん・ミスタースリム)No8大西(カツ)HB9井上(猿人)SO10大内(キンチャン)WTB11渡瀬(ワッセ・ワタ公)CTB12門田(ドカタ)CTB13關(怒りのプリンス)WTB14森田(タモリ)FB15鈴江(スルメ)以上のユニークな面々。当時は,平均体重70kgに満たない体格であったが,現在では,余裕で80kgを超える平均体重を誇っている。マネージャーも女性が3名もいてくれた。このメンバーのいいところは,明るいのはもちろんだが,誰でも友だちになるという感じではなく,とことん知り合って友だちになるタイプが多いというところ。また,仕事関係を抜きにしているので,共通の話題が,学生時代の話題で盛り上がるということ。だから長いつき合いができるのかも知れない。また,勉強に関しての共通点があった。それは,実力テストだろうと大切な模擬試験だろうとちゃんと本当の実力で勝負する潔さである。ガリベンを嫌い,「勉強して何になる?」が合い言葉だった。友だちを出し抜いて勉強をするようなことがあれば,キックダッシュが待っている。学校帰りに,300mlのペプシコーラ(当時は,コカコーラの瓶は,小さかったのでペプシを好んで飲んでいた)とパンを必ず食べる。そして,必ずマルーフアパートか写真館あるいは,遠出をしてドカタの家で遊んで帰る。また,試合のある日は,千舟町の高級中華料理屋(!?)で憂さ晴らしをして帰る。これが基本である。恋愛に関しては,みんな何連敗もしている。みんな硬派を自認しており,もてる男は,マスぐらいなもの。中には,ラグビー部員をふった相手の彼氏を修学旅行でリンチにしようとしたあたたかい人間もいた。暑い夏でも,ドシャブリの雨の中でも,手が悴む寒い冬でも・・・・みんなでグラントを走り回った想い出は忘れられない一こまである。ランパス,キックダッシュ,地獄のスクラムなどなど・・・・。つらい日もあったけど,もう一度あの瞬間に戻りたい。

 ラグビー部の成績は,自分たちのチームになってからは,2年生の県大会の新人戦,3年生の総合体育大会での準優勝が最高の成績であった。残念だったのが四国高校ラグビーの県予選で,当時のライバルであり強敵の松山北高校を撃破して,みんなで四国大会への準備をしたり,新しいバッグを購入したりして,有頂天になっていたら楽勝と思っていた松山西高校にまさかの惜敗をして,四国大会に進出できなかったこと。(結局,松山西高校が四国大会へ出場し,優勝した。)四国は,ラグビー不毛の地と言われていたが,その通りで,強いのは,愛媛と徳島のみで,香川と高知は,全くお話にならなかった(今は,知らない。)ので,四国大会へ出れば優勝だったのに惜しまれる大会であった。当時から全国レベルであった愛媛県ラグビー界の私立の雄,新田高校との死闘(!?)は,忘れられない想い出である。特に3年生の総体の決勝戦は,24−15という惜しいスコアだった。前半は,關と門田両選手のトライでリードを奪うが,後半逆転され,涙をのんだ。当時のチームは,俊足バックスが売りで,得意な戦法は,浅いラインからのオープン攻撃。SHから出たボールが一瞬のうちにハリーパスで,WTBへ回っていた。その他にも,コッテウシ(ただFWのコッテウシ八木クンが突進する),クルリ(SOがCTBへパスをしてCTBがまたSOにパスを渡す二段攻撃),スルメ(CTBの位置の後ろ側にFBのスルメ鈴江君が入ってきてパスをもらう),シャロー(プラインド側のウィング攻撃),日本赤十字病院(これは,有名な縦十字攻撃。バックスが縦一列に並び,スクラムからボールが出ると同時に,バックスが,一斉に左右に分かれてラインを作り攻撃をする。相手は,どちらのライン攻撃か分からないのでディフェンスができない。)などがあった。

 自分の子どもたちにもラグビーをしてもらいたいと思っているが,高校生の長男は野球部。中学生の二男は,サッカー部に入部している。長男は,熱烈な阪神タイガースファンである。幼稚園の頃,甲子園球場に連れていって阪神対ヤクルトの試合を見た。それ以来,タイガースファンになっている。それならと,小学生になって,全日本対イングランドの国際試合が愛媛県総合運動公園グランドであるので,連れて見に行ったことがある。間近で血を流しながらぶつかる大男を見て,これは自分にはできないと思ったのかも知れない。FWは,ほとんど格闘技の世界だし,バックスのスピードもかなりのもの。なかなか柔な男にはできないスポーツである。

「勉強して何になる?」と言っていたメンバーの現在は,みんなそれぞれの職場で活躍しているただのオジさんになっている。

 1マルーフ・・・銀行員,2写真館・・・・写真館の専務(神戸で一大事業をしている),4マス・醤油頭・・・・小学校教師,5コッテウシ・・・・銀行員,7お富さん・・・・銀行員(41歳で何と支店長になる),8カツ・・・・住宅関係の支店長,9猿人・・・・中学校理科教師,10キンチャン・・・・県庁職員,11ワッセ・・・・NHK局員,12ドカタ・・・・市役所職員,13怒りのプリンス・・・・ご存知某附属小教官,14タモリ・・・・会社員,15スルメ・・・・国土交通省職員になっている。(なお,3(中学校体育教師)と6(獣医)は,一級下の学年だった。)

 ラグビー部の友だちに関するエピソードは,小説のようにおもしろいことがたくさんある。また,このホームページで紹介をしていきたいと思っている。

「勉強して何になる?」の答えは,まだ,見つかっていない。


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