嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 ともに伸びていく「伸友会」

27・28期生のみなさん,修了おめでとうございます。
4月からそれぞれ違った場所での仕事。今後ますますのご活躍をお祈りします。

今年度は,我がゼミからも2人の修了生が旅立つ。
關ゼミ2期生は,まだまだ先の見えない人生。
修論作成に向けて本当に苦労した日々。
これで終わりではなく,これから,しっかりと自分の目標を見つけてがんばってほしい。

自分の大学院時代の思い出と言えば,今でも続いている毎週月曜日の社会系のソフトボール。
そのチームの名前が,「伸友会」(しんゆうかい)。
「みんながともに伸びていくように」+「親友」という言葉を関連づけて命名された。
「伸友会」という名前を刺繍したTシャツを着て練習をしていた。
ソフトボールの練習も楽しかった。
けれど,何より楽しかったのは,ソフトボールの後,気の合う仲間である馬野さんや杉本さん,吉崎さんの4人でいつもビールを飲みながら,いろいろなことを語り合ったことが忘れられない。
場所は,最初は,学食で飲んでいた。
その頃は,ビールも自由に飲めていた。
学食のマスターとも知り合いになり,仲良くしてもらっていた。
学食では物足りず,今ではもうなくなってしまったが,大学近くに「ひげさん」という鉄板焼きの店があった。
その店でよく焼き鳥を食べていた。
それでも飲み足らず,社の町まで,出かけて行く。
お好み焼きの「里」やスナック「房」。
1週間に一度,よく食べて,よく飲んだ。
その頃の自分は,30歳になったばかり。
まだまだ若かったし,気性も今以上に荒かった。
でも,その時の話題は,ほとんどが社会科のこと。
それまでの人生で社会科のことを飲んで真剣に語るなんてことはなかった。
学習指導要領の社会科をそのまま実現することが当たり前だと思っていた。
ここだからこそ,社会科について語る,そんな環境にめぐり会えたのだろうと思う。
しあわせだった。
あの時のことがあるから今がある。
その時の仲間は,みんなそれぞれの地元で活躍をしている。
みんな地元に帰り,社会科のリーダーになることが目標だったのだ。
ただ,自分だけは,ふるさとの愛媛を離れ,広島に赴任した後,今,偶然にもここにいる。
正直なところ,半分後悔,半分満足と言ったところである。
半分後悔というのは,地元愛媛とまったく縁が切れたことと,現状の研究生活が予想以上に社会科以外のことが多すぎるということだ。
子どもたちを相手に社会科の授業をすることが楽しかった自分だったけど,その機会が失われてしまったこと。
それが後悔の部分である。
でも,満足という部分は大きい。
これまでの人生の中で,一番精神的に余裕のある生活ができている。
それがいい。
社会科に対する思い入れは,その時と変わっていない。
でも,なかなかまわりというか一般的な現場の教育界とのズレを感じているこの頃である。
特に,中学校の授業には唖然としている。
旧態依然とした何十年前の授業がそのまま行われている感じだ。
でも,受験体制に組み込まれている中ではそれが当たり前なのだろうと最近はあきらめている。
小学校でも,全体の教師の中では,社会科に対する興味・関心は低く,社会科に取り組む先生も多いけれど,余程のオタクが研究的に取り組んでいる感じである。
あまりにも多忙な学校の仕事の中で,研究に取り組めるというのは,よほどの意志がなければ続かないのだろうと思う。
修了生の中には,継続して学会発表をしたり,学会に参加される方も多い。
すばらしいモチベーションだと思う。
社会科のことを考えると自分自身あまり明るいイメージはない。
学習指導要領の改訂で,これまでの流れが少し変わってくる期待はあるが,小学校の学習指導要領改訂もまだまだ甘い。
もう少し大胆な提案をしてほしいと願う。
現状では,自分にできることをできるところから少しずつ取り組んでいる日々である。
特に,現場での講習会に呼ばれる機会が多い。
そこで,自分の考えを広めているところである。
ソフトボールの想い出は,そのまま大学院時代の思い出だ。
院生協主催のソフトボール大会で,社会系の仲間といっしょに出場して,自分が投げて見事社会系チームが優勝した。
あの時のみんなの笑顔やビールの味が忘れられない。
今でも社会系ではソフトボールが続いている。
でも,講義の日程と重なりほとんど参加できない。
それ以上にスポーツをやりたいという意欲がなくなった。
自分も50歳。
完璧に引退の歳だと自覚してやめている。
一人でのんびりと歩くぐらいがちょうどいい。
これからも「ともに伸びていく仲間」の刺激を受け,お互い切磋琢磨しながら,社会科研究に取り組んでいくつもりでいる。 


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