嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 組織改革の流れの中で

28・29期生のみなさん,修了おめでとうございます。
今後ますますのご活躍をお祈りします。

本学に赴任して,早いもので4年が過ぎようとしている。
社会・言語教育学系,小学校教員養成特別コースに所属して,社会系コースは,兼担という形になっている。
社会系のゼミ生は,今年度の修了生である28期生が最後になると思われる。
平成23年度からは,大学院改組が本格的に進む予定のようだが,現状では先行き不透明である。
大学院の組織改革に関わるWGにも参加するが,冷静に見て,本当にいい方向に向かって進んでいるとは思えない。
毎回,疑問に思いながら参加する。
約20回にも及ぶ会議は,時間的にハード上に,審議内容に関しても,構成員からの意見がほとんど反映されずつらい状況である。
最初から結論がまずあって,話し合ったという事実だけが必要なような会議である。
この会議に限らず,疑問に思うことが多い。
特にこの会議での案件は,大学の根幹に関わることだが,来年以降,大学にはいない人たちが中心になって決めている。
これは,大学の中期目標の設定に関しても同じ図式だ。
すばらしい目標を設定するのはいいが,理想的に思えるような目標を掲げて,実施される時には,決めた本人はいない。
これは,国の役所と同じ図式に見える。
例えば,10年ごとに改訂される学習指導要領でも,改訂されて実施される時には,改訂に関わったような責任者はその部署にはいない。
苦労するのは,実際に関わっている現場の者が苦労する仕組みになっている。
「これは,中期目標で決まっていることなので・・・・」という論調で何も議論の余地がない。
ほんとに,このようなシステムをうまく創り出したものだと感心する。
この基本的に責任逃れのシステムは,至るところで活かされているのだろうと思う。
大学は,法人化されて何かいいことはあったのだろうか。
自分の場合は,法人化前の大学の実情を知らない。
簡単には比較はできないが,給料や年金等,直接構成員のお金に関わるようなことは,未だにすべて国家公務員に準じてという,お決まりのいい言葉で決められている。
都合のいいときだけ見なし公務員にされて,都合の悪いときは民間扱いにする。
市町村や県,国と違う機関で働いた経験があるからこそ,管理体制が実によく見えるところがある。
2009年。日本で政権交代が実現した。
今から思うと,かなりマスコミの誘導的な要素が大きかったように思う。
世論をうまく創り上げて,政権まで交代をさせた。
あと何年かしたら歴史が評価するのだろうが,また,空白の○年にならなければいいがなと願う。
このことで,これから本学も厳しい道が待っているのだろうと予想する。
まさに激動の時代と呼ぶのにふさわしい状況になってきた。
「本学は,国策で位置づけられて存在している大学だ。」と現学長は,常に教授会の中で言われていた。
それがその言葉通りの大学だとするならば,いかに自立してない,できない大学であると言える。
国策が変化したら,まさに,その時々の国策に適応して,コロコロと変わるような事態に陥っているのではないか。
組織改革にしてもまさにその典型事例のようである。
別に今の時期に早急に改革を進めなくても国策自体の軸がぶれている状況だ。
振り回されるだけ振り回されているように見える。
そのためにもちろん得をしている人もいるのだろうが。
このままでは,「教員養成は,6年制大学で。」なんてことにもすぐ流れるのだろうか。
ここ数年,全国の私学に,考えもなく小学校免許取得を可能にした大学や学部を広げてきた。
教員養成は,私学で十分だというような流れもある。
果たしてそれが日本の将来を担う子どもの教育にふさわしい状況であると本当に考えているのだろうか。
法科大学院や教職大学院と同じで,教員免許の乱発で,免許取得しても,就職できない学生が今後ますます増えていくのだろう。
定員確保のために,誰でも入学をさせておいて,出口の保障なんて安易に叫ぶ。
このような状況は,現場の事情がわかっていない人たちが,勝手に創り上げている戯言なんだろうと安易に予想できる。
本当に誰のために改革をしているのだろうか。
自分が経営者ならば素朴に思う。
そこにいる学生や働いている教職員が快適に過ごせないで,何が改革だ。
来年以降,本学だけでなく,日本の教育はどうなっていくのだろうか。
これから2〜3年の動向が本当に気になっているところである。


戻る