嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 2020年東京五輪開催決定の年度に

33期生のみなさん,修了おめでとうございます。
今年度は,三木市の現職教員であるゼミ生の計倉さんと楽しい有意義な時間を過ごすことができたことに感謝しています。
今後,これで研究は完結ではなく,これから新たなステージでスタートするという気概をもって,学校現場でのさらなる活躍を期待しているところです。

今年度の特筆すべきことは,2020年,再び東京で五輪が開催されることが決まったことである。
2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が,9月にブエノスアイレスで行われ,開催都市に東京が決定する。
今回の東京五輪招致で注目されたのが,東京招致団の最終プレゼンである。
高円宮妃久子さまが,東日本大震災の各国からの支援に対して,英語とフランス語で感謝の気持ちを述べられた後,パラリンピック走り幅跳び日本代表の佐藤真海さん,フェンシングの太田雄貴選手の現役アスリート,滝川クリステルさんの「おもてなし」に,招致委員会副理事長の水野正人さんのちょっと日本人には違和感のある笑顔,安倍晋三首相と竹田恒和招致委員会理事長の自信にあふれたスピーチ。
どの方もとても印象に残るプレゼンを披露する。
プレゼンにおいて,人を説得するには,キーワードを三つにすることが効果的だと言われている。
今回のプレゼンのキーワードは,「Delivery」「Celebration」「Innovation」。
「Delivery」は,安心して東京に任せてください。
しっかりした運営をやります。
「Celebration」は,エキサイティングな都市の中心で祝祭感あふれる大会を開催します。
「Innovation」は,日本の最も得意な分野で,日本の技術と革新性によって世界中のスポーツに恩恵をもたらします。
そして,何より東京招致団が心がけたのが,「言葉は短く」,「やさしく」,「わかりやすく」だったと言う。
短くてインパクトのあるフレーズを随所に散りばめたプレゼンで成功に導く。
その典型が,滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」だったのだろう。
その結果,東京は,イスタンブールとマドリードを破り,1964年以来2度目となる開催を決める。
日本での五輪開催は,1972年の札幌,1998年の長野の冬季五輪と合わせて4度目の開催である。
これまで,長く景気が低迷していた日本が,アベノミクス効果と東京五輪決定による相乗効果で,表向きには,経済も確実にいい状況に向いていくに違いない。
自分の世代は,1964年の東京五輪の記憶がはっきりと残っている。
女子バレーボールの東洋の魔女や男子無差別級のアントン・ヘーシンク。
何と言ってもマラソン金メダルのアベベ・ビキラやベイジル・ヒートリーにトラックで抜かれた円谷幸吉選手など。
当時,今では信じられない小さな白黒テレビ画面に夢中になったことを思い出す。
我が国の戦後における大きな転換期は,戦後の高度経済成長期である。
日本経済が,飛躍的に成長を遂げる時期は,1954年から1973年の第一次高度経済成長期(設備投資主導型)と,東京五輪後の1965年から1973年の第二次高度経済成長期(輸出・財政主導型)とされている。
その中で,大きく位置づけられるのが,1964年の東京五輪開催と1970年の大阪万博による特需である。
1968年には,国民総生産(GNP)が,資本主義国家の中で第2位になり,この経済成長は,世界的に見ても稀な例で,第二次世界大戦終戦直後の復興は,「東洋の奇跡」(東アジアの奇跡)と名付けられている。
この時代,テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種類の家電製品は,三種の神器と呼ばれ急速に家庭に普及していく。
これら家電製品の普及は,生活時間の配分に大きな影響を与え,女性の社会進出のきっかけとなる。
当時の風潮は,「大きいことは良いことだ」,「巨人・大鵬・卵焼き」などの言葉にシンボライズされている。
また,1969年には,アメリカで,日本人に対して,「エコノミック・アニマル」(国際社会において,日本人が利己的に振る舞い,経済的利益ばかりを追求されるさまを皮肉った呼び方)と揶揄されたが,日本人独特の「勤勉」・「個より集団を重んじる(=和の文化)」が注目された時期でもある。
この時代は,経済発展と科学性が重視された時代である。
不思議と今の時代とオーバーラップすることが多い。
歴史は繰り返す。
これから,日本はどこに向かっていくのか。
結局は,バブル崩壊的な暗い時代が再び到来するのだろうか。
大学は,混迷を極めている。
改革をすればするほどいい方向に向かっているとは到底思えない。
古き良き時代の大学で勤めてみたかったと心から思う。
自分も定年まであと10年。
東京五輪の頃には,62歳になっている。
大学のみならず,自分もどう変わっているのだろうか。
これからの7年間を楽しみにしているところである。


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