嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 時代の流れ

34期生のみなさん,修了おめでとうございます。
今年度は,とても意欲的なゼミ生の渡辺さんと有意義な時間を過ごすことができたことに感謝しています。
渡辺さんは,群馬県小学校教員に正式採用が決まっており,2年間の採用猶予を受けて,明確な研究課題をもたれて入学されて来た。
2年間,研究テーマがブレることになく,研究に取り組み,成果をあげられた。
今後,これで研究を完結することなく,これから新たなステージでスタートするという気概をもって,学校現場でのさらなる活躍を期待しているところです。

滝野・社IC近くにあったナイル書店。
これまで,ふるさとや旅行,出張から社に帰ってきた時,ナイル書店のラクダがいつも自分を迎えてくれていた。
自分にとって,滝野・社ICのランドマークのラクダ。
それが,今年,なくなってしまった。
ナイル書店が取り壊されて,それに伴い,ラクダの存在も消えてしまったのだ。
初めてラクダを目にしたのは,昭和62(1987)年のこと。
今から27年前になる。
滝野・社ICで降りるたびに,ラクダを見ると,「ああ,社に帰って来たなぁ。」といつも思っていた。
と同時に,社に着いて,車で走ると,その田舎度合いに,何とも言えないさみしさをいつも感じていた。
ふるさとである松山や住み慣れた広島に比べると,社は,何とも物足りない。
その社のシンボルがラクダだった。
ナイル書店は,自分が,院生の頃には,レストランが併設されていて,多くの顧客で賑わっていた。
ある先輩は,アメリカ合衆国最大の書店チェーンであり,小売店であるニューヨークのバーンズ&ノーブルのような書店だと自慢気に話していた。
また,塔屋にあるラクダは,彫刻家だったオーナーの作品だったらしい。
このナイル書店が潰れてから,いずれはラクダもなくなるのだろうと思っていた。
何ともさみしい感覚である。
他府県から,この大学や大学院に来た人は多い。
だから,自分と同じような感覚を抱いている人は,多いんじゃないかと思う。
突然,あるものが消えてしまう。
時代の流れと言えば,仕方ないけれど,なんともさみしい。
ナイル書店のような町中にある中小書店が今,時代の流れとともに潰れている。
その原因は,後継者不足の他,アマゾンや楽天などのインターネット販売,電子書籍の流通,ブックオフをはじめとした中古書店や大型書店の相次ぐ出店が原因である。
中でもネット販売が,町の書店に大きな影響を及ぼしている。
今,本が読みたいと思えば,電子書籍でなくても,誰でもネットで注文をして,翌日には本が自宅に届く。
すぐにほしいと思って,近くの本屋に出かけても,ほしい本が置いてないことも多い。
仮に注文してを1週間程度時間を要する。
これでは,誰も町の本屋さんで本を買わない。
今,本屋は,郊外の大型店や駅前,ショッピングモールに,資本力のある書店が出店しているに過ぎない。
これも時代の流れである。
時代の流れと言えば,大学は,ますます混迷を極めている。
改革をすればするほどいい方向に向かっているとは到底思えない。
文部科学省が進める改革のベクトルはどこに向いているのだろうか。
そのベクトルは,どんなキャリアがデザインしているのだろう。
東大出身の財務省系のキャリア?また,安部首相にしても,大阪の橋下市長にしてもリーダーシップのあるすばらしい政治家である。
しかし,教育に関する政策は,納得できることが少ない。
なぜなんだろう。
いいブレインがついていないのか。
取り巻きが悪いのか。
大学に勤めて来年は,区切りの10年目の年になる。
今の大学を見ていると,自分が院生だった頃の古き良き時代の大学で戻ってほしいと最近,つくづく思う日々である。
勤める側ではなかったので実情は,わからない。
でも,勤めている教職員にゆとりが感じられたことは確かである。
たとえば,昼休み,テニスをしたり,ゴルフの打ちっ放しをしたりしている姿がキャンパス内では見られた。
それが,今では,テニスコートやゴルフの練習場は,駐車場になり,誰一人ゆとりのある仕事をしている雰囲気はない。
みんな何かに追われて仕事をしているようである。
改革をしても職場の構成員がよくならない改革が本当にいい改革なんだろうかと純粋に感じてしまう。
自分も定年まであと9年。
自分が退職するまで,せめて今の感じを維持していてほしいと願う。
時代の流れに沿って,生きるしかないのも事実である。
その中で,これからの9年間どう生きるのか。
この前,高校時代の同窓会の席で,カラオケで河島英伍の「時代遅れの男になりたい」を友人がしみじみ歌っていた。
その歌詞がモニター画面に映っているのをふと何気なく見ていた。
「♪目立たぬように  はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめ続ける 時代遅れの男になりたい♪」
なんか改めて歌詞の良さを感じてしまう。
時代遅れになるのもいいかも知れない。
いや,もう十分遅れているだろうか。


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