嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 井手盛章先生を偲んで

 36期生のみなさん,修了おめでとうございます。あっという間の2年間だったと思います。
 4月からそれぞれ違った場所での仕事。今後ますますのご活躍を期待しています。

 平成28年度の一番の出来事は,高校時代の恩師である井手盛章先生の訃報である。
 先生は,食道癌を患って,ずっと闘病生活を続けられていた。
 先生は,高校の体育科の先生で,所属していたラグビー部の顧問の先生でもあった。
 本当に公私ともにお世話になった先生である。
 先生に出会ったのは,今から約40年以上も前のこと。
 高校に入学して,初めての体育科の授業。
 日本体育大学を卒業して2年目の若き体育科教師であった先生は,年齢も近いこともあり,自分にとっては,兄貴分のような存在で,何より爽やかなスポーツマンの雰囲気が漂う先生であった。
 高校時代には,自然に先生が,目指す教師像になり,高校時代は,得意な社会科の教師か,先生のような体育科教師を目指していた。
 先生は,2年前に奥様を先に乳癌で亡くされた後は,抜け殻のようになり,毎日,近くの行きつけの寿司屋で晩酌を楽しみに,生活をされていたようだった。
 子どもに恵まれなかった先生は,本当に長年ご夫婦水入らずで生活をされていたので,奥様の葬式の時の落胆の表情が今でも鮮明に甦る。
 お二人は,自分と同じ松山東高等学校の先輩であり,同学年である。
 さらに,奥様は,自分と不思議な縁がある。
 奥様は,松山市役所に勤められていたが,自分が小学生の時,自分が通っていた小学校に事務職員として勤務されていた。
 自分が5年生の時に,瀬戸内海にある大三島という島にある少年自然の家で,臨海学校があった。
 臨海学校に行く日に,愛媛県に台風が襲来する。
 そのため,自分たちの臨海学校は,大三島に行くことができず,小学校の校舎で宿泊訓練に変更された。
 その時,奥様は,自分たちと一緒に大三島に引率する予定だったらしい。
 後で聞いた話だが,その日は,ちょうど奥様の高校の同窓会の日が設定されていたらしい。
 奥様は,小学校の臨海学校を引率するために,当初は欠席する予定だったが,台風が来たおかげで引率の仕事がなくなり,急遽,夜の同窓会に参加することができたそうだ。
 その同窓会で,奥様は,先生と再会をされて,その日から二人のつきあいが始まったらしい。
 大人になって,そのことを聞いた時はほんとに驚いた。
 自分は,大三島行きが中止になって,学校に泊まったこと楽しい思い出があるが,その夜に,ご夫婦が再会されて,結婚に至る。
 人生の縁は,ほんとに不思議なものである。
 夫は,奥さんが亡くなると,すぐに後を追うように亡くなると言われるがまさにその通り。
 それにしても,亡くなるのが早過ぎる。60代半ばで・・・・。
 まだまだ10年も20年も一緒に飲める機会をもちたかった。
 我々のラグビー部の同窓会組織である伍味会は,先生がいてくれているから毎年,楽しみに集まっていた。
 その先生が亡くなるなんて,ほんとに悲しい。
 大切な人が亡くなるのは,つらい。いずれ自分の番になるのだろうと思うが,親しい人が亡くなるといつも思う。
 人は,何のために生きているのだろうと。

 自分は,社会科が好きで,子どもとする授業が好きで・・・・。
 ただそれだけで生きている。
 大学教員になっても,定年になるまで,相手が大学生だろうと,大学院生だろうと,誰相手でも授業をしている時が一番楽しい。
 と言うよりも,授業の準備をしている教材研究をしている時が生きがいになっているかも知れない。
 これは,多分,定年になって,教壇を去るまでは同じ思いだろうと思っている。

 先生,これまでほんとにお世話になりました。
 そして,ありがとうございました。
 高校時代,先生が,昼休みによく体育科仲間の先生と硬式テニスをしているのを遠くから見ているのが好きでした。
 いつも校舎のベランダに出て,弁当やパンを食べながら,先生たちが楽しそうにテニスをしているのをいつも見ながら,自分も先生のような高校体育科教師になって,昼休みにテニスをしたいなぁと漠然とした夢を抱いていたことを思い出します。
 今の時代,昼休みにテニスなんてできる余裕は,学校現場にはないのでしょうが・・・・。
 結局,先生のようにはなれなくて,夢も軌道修正して,今に至ったような感覚でいます。
 でも,自分が選んだ道は,間違っていなかったとも思っています。
 何より先生に恥ずかしくない生き方をこれからもしたいと葬儀の時に誓ったことを思い出しています。
 葬儀で変わり果てた先生の顔を見たら,涙が溢れて止まりませんでした。
 あれから40年以上時間が経過していることに,驚いています。
 平成28年に先生の訃報に接して,今まで以上に先生との思い出がたくさん思い浮かぶような気がします。
 高校時代だけでなく,その後の人生の中での先生とのかかわりがすべて宝物のように思えます。

 井手盛章先生のご冥福を心よりお祈りしています。


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