大内英二氏が逝く  戻る。戻る


         2001年9月12日。親愛なる伍味会のメンバー大内英二(おおうちえいじ)氏が亡くなった。

         あまりにも早すぎる死である。42歳という若さでこの世を去ってしまった。

         大内英二氏は,伍味会のメンバーの中では,愛称「キンちゃん」と呼ばれていた。

         いつもニコニコと笑っているところから高校時代に命名された。また,ドカベンに登場する

        微笑三太郎の雰囲気もあった。

         高校時代には,ラグビー部で,スタンド・オフとして,活躍した。

        左右両足から放たれる正確なパント・キックと,トライの後のゴールを狙うプレスキックに

        は,定評があり,自分たちのチームの試合を何度も助けられた思いがある。

         ラグビーに限らず,運動能力には非凡なものがあった。高校時代の体育の授業でも,どの

        種目でもそつなくこなしていた。持久力はなかったが,瞬発力や跳躍力,スピードにも目を

        見張るものがあった。走り高跳びも170cm以上は跳んでいたと思う。(高校の授業レベル

        では凄い記録だ。)

         中学校時代は,温泉郡の中島中学校で野球部に所属して,エースだったようである。地肩が

        強い上に,足腰も強かった。子どもの頃から体をよく鍛えていたのだろう。


         そんな大内英二氏もラグビー部の練習では,入部当初は,体力不足で,ダッシュやランパス

        などではよく途中でリタイアしていた。ニコニコしながらリタイヤするので,先輩にはよく怒

        られていたが,性格がいいので,あまり攻められない得な人格であった。

         小器用で何でもうまくこなすのは,誰もが認めていた。成績も優秀で,ラグビー部の中では,

        数少ない秀才でもあった。理系クラスで,英語や数学などの能力別クラスでは,お利口組に入っ

        ており,地元の愛媛大学工学部を現役合格し,その後,大学院に進み,愛媛県庁土木課に就職して

        いた。高校・大学とラクビー一筋で,大学卒業後も社会人のアドリブクラブに所属して,スキーを

        して膝を痛めるまで,現役を貫いていたようだ。

         ニコニコ笑って,口数の少ない男で,自分を主張するのが苦手なところもあったようだが,最期

        まで白血病と闘い,壮絶な死だったようである。

             愛媛県立松山東高校ラグビ−部 愛媛県立松山東高校ラクビー部(99期生)


         ここに慎んで哀悼の意を捧げます。天国では,何のスポーツをやりますか。いつもの笑顔で。

         またの再会を楽しみにしています。でも,まだ,友だちを呼ばないように。

         2001年9月13日 

                                              關  浩和  


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