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「あきら」を火葬場へ
あきらの遺影を私が抱いて,位牌を妻が持ち,棺桶は,私の兄や妻の義理の兄などが持って霊柩車まで運んでくれました。
私は,助手席に座り,妻は,後ろに座りました。
子どもたちや親族は,マイクロバスに乗り込みました。
広島の火葬場がある場所は,知りませんでした。
霊柩車に乗って,いよいよ出発になりました。クラクションを鳴らすと,見送ってくれた人たちが頭を下げてくれていました。
車の中で私たちも頭を下げていました。
「火葬場までは,どのくらい時間がかかるのですか?」
と,運転手さんにたずねると,
「そうですね,30分ぐらいだと思います。ヒーターはきいていますか?」
「はい。十分です。」
霊柩車に乗ったのは,初めてでした。
外車の霊柩車は,静かにゆっくりと進んでいきます。
私は,疲れと寝不足のために,うとうとしていました。
ふと目をあけると,霊柩車は,火葬場のある坂を上がろうとしていました。
そこは,見慣れた風景でした。
広島市の森林公園へ出かけたときに帰り道にあたるところに火葬場はありました。
「広島市永安館」という大きい看板が立っていました。
「こんなところに火葬場があったのか。
いつも通っていたところなのに全然気がつかなかったなあ。」
と,いかに回りを普段見ていないかを再認識しました。
火葬場へ着くと,前日が友引であったためかとても混雑をしていました。
20年前に,自分の祖母の葬式のことを思い出しました。
「ボォー。」という火をつける音を今でもはっきりと覚えているのです。
何とも言えない悲しみにおそわれたことを思いだしながら,
「あきらも同じようになるのか。」
と,思うとたまりませんでした。
あきらの遺影を抱いて中に入ると,年老いた集団に会いました。
「あんな子どもさんが・・・。」
というような声が上がりました。
係の人は,いつものことなのでてきぱきと説明をされました。
そして,あきらを火葬場の中に入れることになりました。
私と妻と子ども二人が前まで行ってあきらを見送りました。
突然,妻が,
「いやー。あきら!いやー。やめて。焼くなんてやめて!やめて・・・・・・。」
と,悲痛な叫び声を出しました。
何とか泣き崩れる妻を抱きかかえて,あきらを見送りました。
係の人から鍵を渡されました。
「放送で呼ばれたら,喪主さんが,この鍵を持参してください。
30分程かかりますので,2階の控え室で待っておいてください。」
と,言われました。
私は,親族の者を案内して2階へ行きました。
2階の控え室は,満員で座るところも限られていました。
少しの間時間があるので,係の人に,何か飲み物を頼みました。
妻の妹の子どもは,何も分かっていないらしく陽気にはしゃいでいました。
その陽気さが余計悲しい気持ちになりました。
しばらくすると,友人である高橋君が,妻の友だちを連れてきてくれました。
親族だけが座っているところなので中に入るのを遠慮していましたが,私が強引に連れて入りました。
妻を勇気づけてほしかったのです。
こんなときは,友だちが一番頼りになるような気がしたからです。
予定よりも20分ぐらい遅れたでしょうか。
場内アナウンスがありました。
「牛田新町四丁目の關様お時間でございます・・・・。」
案内されて私一人が鍵を持って火葬場に行きました。
鍵を差し出すと,
「ここに鍵を入れて自分で開けてください。」
と言われました。
言われたようにすると,扉が開いて,中から骨だけになったあきらが出てきました。
どこが何の骨で,頭はどこかまったく分からない状況でした。
「こちらについてきてください。」
と言われて,荷台のようなものを動かしてあきらを移動させていきました。
そして,
「これは,とても大切な書類なので無くさないで持っていてください。
再発行は,されませんので,管理には特に気をつけてくださいね。」
と,言われて,死体火葬許可証と広島市永安館使用許可書兼領収書と書いてある二つの書類を渡されました。
そして,係の人は,重そうな扉を開けて,
「親族の方だけ中に入ってください。」
と,言いました。
親族のみんなが中に入ってきました。
そして,あきらのまわりを取り囲みました。
妻も,子どもたちも変わり果てたあきらを見て,ただ呆然としているようでした。
「こちらが頭の部分になります。
そして,こちらが足の部分になります。
これが喉仏です。
これは,喪主さんに最後に入れてもらいます。
それでは,まず,喪主さんが,大きい骨を一つ拾って骨壺の中に入れてください。
そして奥さん,お子さんというようになります。
喪主さんには,後で残ったものを拾っていただきますので,あちら側に行って見ていてください。」
と,てきぱきと進めていきます。
私は,一番大きそうな骨を拾って骨壺に入れると,移動しました。
そして,大きいはしを渡されたまま呆然と立って,骨を拾っている様子を見ていました。
妻も必死で骨を拾います。
見ると,歯形がそのまま残っていました。
「歯はじょうぶだったのかな・・・・・。」
なんて思ったりしました。
骨もたくさん残っていました。
本やお絵かき帳を止めていたと思われるホッチキスのしんがたくさん焼けずに残っていました。
あきらの大好きな物を入れていた赤い袋も棺桶に入れていたので,その中に入っていた30円もそのまま焼けないで残っていました。
骨壺は,あきらは,子どもでしたが,少しでもたくさん入るようにと,大人用のものを葬儀屋さんが準備してくれていました。
拾いきれない小さな骨と遺灰もすべて,ほうきと,鉄製のちりとりのようなものを使ってすべて骨壺に入れてくれました。
骨壺は,いっぱいになりました。
そして,言われるままに,最後に,喉仏を私が拾って骨壺の真ん中に入れました。
骨壺を私が持ち,遺影を妻が持ち,今度は,洸太朗が位牌を持つことになりました。
静かに歩いて,外で待ってくれているマイクロバスのところまで行きました。
広島駅の横を通るとき,あきらの遺影を駅の方へ向けてあげました。
骨になってしまったあきらですが,骨になっても余計に私たちには,とても身近な存在のように思えました。
「自分たちのそばから離して,お墓に骨壺を入れるなんて信じられないね。」
と,妻に言うと,
「私たちが死ぬまでずっと私たちが近くに置いて守ってあげたいね。」
と答えました。
「仏壇のところへ置いていてはいけないのかな。」
「どうかな。お寺の人に聞いてみないといけないね。」
その通りです。
骨壺をお墓に入れて我々から離れたところで生活をさせるなんて考えもできませんでした。
よく骨壺を盗んだり,墓を荒らしたりする事件を耳にしたりしますが,愛情の裏返しなのか,ただのいたずらなのか,どんな理由があるにしても,何てひどいことをするんだろうと改めてその行為が信じられなくなりました。
セルモ玉泉院に着くと,セルモは,既に次の葬儀の準備に入っているようでした。
ここでも,まわりは,あきらの死に関係なく確実に動いているのでした。
控え室に入り,少し遅くなった昼食をとることにしました。
私の方の親戚と妻の方の親戚の人が控え室で揃って昼食をとることになりました。
幸せなことで集まるのと違って,小さな子どもの葬儀で再会するなんて考えもしませんでした。
昼食が終わると,火葬場へ同行してくれていた親族の者も愛媛の方へ帰る支度をしていました。
叔父や叔母,妻の姉夫婦や妹夫婦,私の姉や兄も次々と見送ることになりました。
妻が,かなりショックを受けているので,2人の両親は,あと1日残ってくれることになりました。
こうして,何とか葬儀を終えることができました。