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硬くなってしまった「あきら」
自分のことでみんなの人に迷惑をかけている自分が情けなくなりました。
学校は,1月31日の全国研究大会へ向けて,2,000人の参会者を迎える準備で,1年で一番忙しい時期にあったのです。
印刷もやっと終わり,研究室に戻りました。
印刷したものは,家へ持って帰って綴じることにしました。
ふと,横を見ると,授業の前に,子どもたちから渡された封筒がありました。
「そうだ。忘れてた。何を書いてくれているのかな。」
何となく想像はつきましたが,開けてみると,同僚の先生が準備して子どもたちに書かせてくれたようでした。
小さな紙に自分の思いを綴ってくれていました。
関先生,私たちもがんばりますので,関先生も元気を早くとりもどしてがんばってください。みんなおうえんしています。ガンバレ関先生。(柴田 愛花)
関先生,元気をだしてください。先生のなみだをわすれません。早く元気をだしてぼくたちとじゅぎょうをしてください。みんなもまってるぞー。ファイト!(兼元
亮 )
関先生早く元気になってじゅぎょうをしてください。ぼくたちは,せいいっぱいがんばります。みんなまっています。
(松本 圭史)
関先生へ。今日学校へ行っています。でも,先生がいないからみんながしずかで,さみしそうです。わたしたちが力をあわせてがんばりますから先生は,あんしんしてくださいね。(谷本
愛 )
関先生。早く元気になって先生とおべんきょうがしたいです。 (宮藤 留衣)
関先生。ぼくは,おとうとがいるのでそのきもちなりました。ぼくもかなしいです。元気になって早く2ぶ2年にきて,算数と生活をおしえてください。みんなおうえんしています。ガンバレ関先生。フレーフレー関先生。
(西川 領 )
その他にも40人の子ども全員が,2年生の子どもなりに私への激励の言葉と悲しみのメッセージを寄せてくれていました。
また,研究室で一人涙していました。
「こんなにいつも泣いていたらだめだな。」と思いながらも,涙がとまりませんでした。
でも,
「子どもたちとの授業では,絶対に態度を変えないようにがんばろう。
子どもたちに迷惑をかけたり,余計な心配をさせたりしないようにしよう。」
と自分に言い聞かせました。
研究室の後片付けをして帰宅しました。
帰宅すると,通夜の準備をしていました。
「ただいま。」
「お帰り。」
と,母親が迎えてくれました。
部屋の中に入ると今まで縁のなかった線香の匂いで部屋は,包まれていました。
そして,いつもは,あきらが,「お父さん,お帰り。」と,玄関まで迎えてくれるのですが,もういないんだなと思うと,また悲しくなりました。
「あんたが,がんばらんといかんよ。仕事もしっかりね。」
中学校と小学校の教員を定年まで続けた両親は,教員としての心構えというものを,何も言わないで小さいころからその態度で自分に教えてくれていたように思えます。
だから,自分がこのような状況でも仕事に出かけていることが分かるようでした。
「4時には,セルモの人があきらを迎えにきてくれるから・・・・。」
と,妻がいいました。
それまでに資料を綴じておかないと玉泉院へ行ってしまうと,通夜の日は,玉泉院で泊まり次の日が葬式。
そして次の日が研究会になります。
私の方は,急いで資料を綴じる作業をしました。
1時間程かかってできあがりました。
そして,急いで通夜で泊まる準備をしていました。
外は,小雪が舞っていました。
「寒くなるな。雪の葬儀になるかも知れない。」と思いながら,準備を続けました。
午後4時になりました。
「セルモ玉泉院です。」
あきらを迎えに来てくれたのです。
「担架が中に入らないので,私があきらちゃんを抱いて降ります。」
すでにあきらは,硬くなっていたので妻が抱きかかえることはできませんでした。
ふとんをめくり,あきらを係の人が抱きかかえました。
すると,人形のように,また,棒のように硬くなって体も曲がらずにまっすぐとなったままでした。
体も幾分痩せたような感じでした。
妻と私は,その様子に声を失いました。
驚きでその場を動けませんでした。
「生きているように見えたけど,やっぱり死んでしまったんだね。」
当たり前のことを何度も改めて思うことばかりです。
搬送車に,私と妻,長男と二男が泊まるための準備した荷物を持って乗り込みました。
妻は,あきらのそばについています。
無言のままで,小雪の舞う中,セルモ玉泉院に向かいました。
今まで毎日通っている道でしたが,人の車に乗ると,まったくの別世界を通っているようでした。
また,町並みも違って見えます。
新しい建物も再発見をしました。
10分間程走るとセルモ玉泉院の大きな看板が見えてきました。
「こんなところに葬儀場があったのか。知らなかったなぁ・・・・。」
再発見することばかりでした。