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最愛の「あきら」が・・・・
1997年1月19日に4歳になる最愛のあきらが突然,病に倒れてしまいました。
熱性痙攣を伴ったので,動揺しながら救急車に連絡をしました。
「火災ですか。救急ですか・・・・。」
相手の声もはっきりと聞き取れません。
「すみません救急です。子どもが熱性痙攣で。救急車を至急お願いします。」
「住所をお願いします。」
こちらの住所と電話番号を教えました。
でも,救急車は,なかなか来ませんでした。いつもなら20分程度で来ると思われるのに,救急車が到着したのは,電話してから40分もかかっていました。
どうしてこんなにも時間がかかるのか怒りをおさえていました。救急車が到着すると,どこの病院へ連れていくのか決まっていません。
小学校の社会科の授業では,「119番にかかると,すぐにワンタッチチャンネルで病院や警察に連絡します・・・・。」などと教えてきたのに,・・・・まったく違います。
3人の救急隊員は,あきらを見ても急いでいる様子もなく,一人の年老いた救急隊員は,何をしたらいいのかおどおどしているのが,素人の私が見ても分かる有様です。
一人のチーフのような隊員が,まず,市民病院へ電話をしたようでした。
何か話していましたが,ベットがあいていないということで断られたようでした。
「それでは,F病院にしてみよう。」
と,言ってF病院へ連絡をしようとしています。
「あぁ。こうやって病院をたらい回しにされるのか。」という現実を目の当たりにしたようでした。
もう見かねた私は,いらだちをおさえながら,以前,H大附属病院にお世話になったことを思い出しました。
昨年の11月に,堀口さんの紹介で同じように熱性痙攣を起こしたときに,自分の車でH大附属病院まで連れていき,点滴を受けて,夜中でしたが,CTスキャンもとったことがあったのです。
「H大附属病院へお願いできませんか。」
と,救急隊員に告げました。
「そうですか。附属病院ね。知り合いはいるの?」
と聞かれます。
「知り合いがいないと見てくれないのか。」と少し憤りを感じましたが,
「以前,一度看てもらったことがあるので早くお願いします。早く。」
と,言いました。その間もあきらは,意識は戻っていません。その時点で,すでに時間は,50分程経過していました。
「それでは,これからH大附属病院へ運びます。運びながら電話しますので,お母さんは,いっしょに救急車に乗ってください。この紙に救急センターの電話番号が書いてあるので,お父さんは,30分ぐらいしたら電話をしてみてください。どこの病院へ運んだかを教えてくれますので。」
そう言って,救急車は,出発しました。
「何という手際の悪い処置なのか。病院は,いつでも看てくれないのか。」と世間では当たり前になっていることを改めて感じたところでした。
「あきらは,どうなったのだろう。意識は,回復しただろうか。本当にだいじょうぶだろうか。」
と,心配しながら官舎の部屋に帰りました。部屋に入ると,洸太朗も心配してベランダから外の様子を見ていたようでした。
「長かったね。救急車は,どうしてすぐに出発しなかったの?」
と,聞くので,
「行く病院が決まらなかったんだよ。」
と答えました。これ以上洸太朗を心配させてもいけないので,
「あきらは,だいじょうぶだよ。心配するな。ゲームでもして待っていてよ。」
と言って,30分が経つのを待っていました。
洸太朗は,少し安心したように,テレビゲームをしています。
二男の涼太朗は,友だちの家へ遊びに行っているようで,不在でした。
私もたぶんだいじょうぶだろうと思いながらも,救急隊員の様子からいやな予感が心をよぎりました。
とても長く感じた30分がたって,救急センターに連絡をしてみました。
「牛田新町の?ああ。ちよっと待ってください。・・・・H大病院へ運んでいますよ。」
「すみません。お世話になりました。」
と,言って電話を切りました。そのとき,涼太朗がちょうど家に帰ってきました。
「二人ともこれからあきらの病院へ行くから早く支度をして。」
と言い,急いで洸太朗と涼太朗を車に乗せて病院へ急ぎました。
H大附属病院は,国道2号線沿いにあり,官舎から車で20分ぐらいの場所にありました。
駐車場へ着いて,時間外受付へ急ぎました。時間外に仮の治療するためのベットにあきらは,寝ていました。
意識を回復したようで点滴をしていました。泣きながら,母親にすがっていました。
「あぁ。意識がもどったんだ。もうだいじょうぶだな。」と安心しました。
背の高い大柄な医者がいました。これから主治医になる若い男の先生でした。
「念のため,検査入院をしたほうがいいと思います。
ここは,満室なので,間もなくF病院へ運び,検査をしてもらいます。」
「どうして?ここで入院して検査をしてくれないのですか。」
「今,どこも満室なんです。救急には,連絡をしてますので,すぐに救急車で運びますから。」
こちらは,それ以上何も言えません。医者がいなくなって,あきらのところへ行って自分を指さして,
「だれか分かる?」
「お父さん。」
と,しっかりと答えてくれました。
あきらは,「これ痛い!」と点滴をしているのを外そうとするくらい元気だったので安心しましたが,あきらは,妻に抱きついて離れようとしませんでした。私は,妻に,
「だいじょうぶだった?」
と,聞くと,妻は,たいへんだったことを説明してくれました。
病院に着いても,担当になる医者がすぐに対応してくれなかったことや,あきらに点滴をするのに,助手のような若い男の先生が,二人交替で何回も手に注射針を入れるのになかなか血管に入らないで失敗を繰り返し,やっと先程の大柄な先生が足に注射針をさして,点滴ができだしたことなど・・・・。
救急車に続いていやな予感がしました。
でも,あきらは,意識が回復していたので,「あきらのことだ。たぶんだいじょうぶだろう。」と,思っていました。