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新しい「命」の誕生に
現状に満足することなく,自分を信じて,できる限りの可能性にかけてみたい。
そんな思いで,40年以上も全力で突っ走って,今まで生きてきたように思います。
でも,娘のことがあって以来,自分の中で少しずつ考え方も変化してきたような気がしています。
我が最愛の娘である玲(あきら)との突然の別れがあってから,今までの自分の人生まですべて否定されたようで,目標も失いかけて,活気もなく過ごす日々が続きました。
平成9年10月29日,12時52分。
新しい「命」の誕生がありました。
自分の中で,少しずつ光りが見えてきた瞬間でした。
広島逓信病院の看護婦さんが,
「關さん。おめでとうございます。元気な女の子ですよ。」
と言ってくれました。
その瞬間,今までのすべての不安がうそのように思えました。
急いで,分娩室の方へ走って行くと,若い看護婦さんが,とってもとっても小さな赤ちゃんを抱いて来てくれました。
「お父さん。早く抱いてあげてください。」
と言って私に手渡してくれました。
その時は,すやすやと寝ているような感じでした。
私が抱くと,抱き方が悪かったのか,それともうれしく感じたのか,ぱっと小さな目を開けて「にこっ。」と笑いかけてきました。
私には,あきらが,笑っているように見えて,とてもうれしいはずなのに涙があふれてとまりませんでした。
「お父さん,また来たよ。」
と,どこからか声が聞こえてきました。
ベッドで横になっている妻を見ると,同じように涙を流しながらもとても喜んでいました。
私は,妻の手をとり,
「よくがんばってくれたね。ありがとう。本当にありがとう・・・・。」
と言いながら,止めどもなく涙が溢れていました。
あれは,その年のお盆のことでした。
あきらが亡くなってから1年近くも遺骨を手放せないで,ずっと仏壇の前に置いていました。
それは,遺骨を自分たちと離してお墓の中に入れるなんてことができなかったのです。
でも,新しい命の誕生を知り,いつまでもそのままにしているわけにもいかないということで,私の実家のある松山に帰り,石手寺にある關家のお墓に入れる日の朝のことでした。
私は,朝方ある夢を見たのです。
それは,はっきりと場所は特定できないのですが,すごく険しい高い山にあきらが一人で登っている夢でした。
私は,なぜか分からないのですが,空中に浮かんでいるような感じで,その姿を上から何気なくぼんやりと見ていました。
「あきら!」
と声をかけると,あきらは,後ろを振り向いてくれました。
今まで夢の中で,あきらに声をかけても何も返事をしなかったり,黙ってうつむいている感じばかりでした。
家族で遊んでいても,2人の息子と妻はいるのに,あきらがいないのです。
そんな悲しい夢ばかりを見て,妻と涙ながらに話している,そんな繰り返しでした。
でも,その時は,違いました。
後ろを振り向いて,あきらは,はっきりと言いました。
「お父さん。また,来るからね。」
そして,どんどん険しい山道を登っていきました。
「あきら・・・。」と言おうとして,私は,目が覚めました。
そのことを,妻や両親に話すと涙を流して聞いていました。
「また,来るからね。」
その言葉が,それまで耳からずっと離れませんでした。
そして,その日,納骨を済ませました。
とても暑い夏の日の出来事でした。
あきらが亡くなって以来,人間は,何のために生きているのかなんてよく考えるようになりました。
その中で,人間の死もいろいろとあると思うようになりました。
あきらの場合は,何も意識しないで,普段通りの眠りについて,普段ならば起きて,
「お母さん,お父さん。」
と言おうと思うのに,そのまま亡くなって永遠に私たちと話すことさえできなくなったと思うのです。
絶対に死ぬなんてことを思ってなかっただろうし,死ぬことさえも分からないで亡くなったと思うのです。
それは,あきら自身が,一番悲しんでいることだと思います。
でも,私たち夫婦は,あきらが,
「もう一度お母さんから生まれたい。」
と思っていてくれると確信していました。
本当に,私たちのところにやって来てくれた気がしました。
赤ちゃんは,別の存在であることは分かっているつもりです。
でも,あきらと同じように,あきらだと思って大切に育てたいと思っています。
そして,
「あなたには,やさしいお兄ちゃんがここに2人いるけど,とってもお利口でかわいいお姉ちゃんが一人いたんだよ。」
と何度も話してあげるつもりです。
今のところ娘は,母親に似て,とっても素直な明るい子になってくれています。
いろんなことを楽しそうに話してくれるので,それがとても幸せな時間を与えてくれています。
今,その時に生まれた子どもは,7歳になりました。
7歳になった子どもを見ていると,どことなく亡くなったあきらに似ています。
私の母親は,笑いながらいつも,
「目が違うね。」
といいながら,
「でも,どことなくよく似てるね。」
と顔を見て,涙を流しています。
7歳になる子どもを見ていると,そこにいてくれるだけで幸せです。
でも,当然のことながら,亡くなってしまったあきらがいない悲しい現実は消えることはありません。
いつまでたっても心の中であきらに謝っています。
これは,私が生きている間は,一生続くことだと思います。
本当にいろんなことを考えてしまいます。
でも,なかなか自分の中で,あきらの死の事実や,今までの自分がとってきた行動や考え方に,意味づけができずに,時間ばかりが過ぎて,少しも成長できないままです。
精神面でも,また,研究面でも・・・・。
でも,今,思うことは,自分の先も見えてきました。
定年まで,あと14年。
本校にお世話になって10年が過ぎたわけですから,これからの10年もあっという間だと思います。
大学は,国立大学法人化になり,その中で,附属学校なんて存在意義も見出せないでいます。
広島大学と言えば,教育学部では,西日本でトップクラスだという印象がありましたが,自分の中ではイメージは随分変わりました。
私自身,年齢的にも大学の先生方と変わらない歳にもなり,最近では,刺激もなくなってきました。
ただ,目の前にいる子どもたちをいろいろな面で裏切らない人間で有り続けたいと思っています。
対人関係において,自分の考えをもち,しっかりと主張できるだけの強い意志と確かな実績があれば,どのような状況下でも生きていけるのではないかと思っています。
私には,大切な家族がいてくれます。
こんな男について来てくれるやさしい妻もいます。
今年成人になった長男から小学校1年生の娘まで,自分にとってかけがえのない貴重なかわいい存在もあります。
娘が成人になるまでは,まだ10年以上もあります。
しっかりと育てていく義務もあります。
そんな中で,本当の「愉しみ」の意味も見えてきました。
それは,平凡で退屈な時間を愉しみ,時間を経験にかえてくれる様々な営みをのんびりと実感しながら,今をがんばることだということです。
自分なりに教員になった時からの目標が,今年何とか達成できそうなので,あとは,自分の余生をのんびりと過ごそう。
子どもたちには,学力向上のためだけの関わりではなく,子どもたちの気持ちの面での成長を見守れる一教員としてのんびり過ごそう。
そんな気持ちでいます。
今年,附属小学校では,6年生を担任しています。
もし,あきらが生きていれば同じ6年生になっています。
いつまでも亡くなった子の歳を数えていても仕方ないのは分かっています。
でも,クラスの子どもたちを見ていて,ほとんど勉強面のことでしか言うことはないのですが,せっかく健康でいられるのに,何でもっと努力しないんだろう。
とか,いつもやさしく妹のお世話をしている女の子を見ると,
「あきらも生きていたら,こんなにやさしくてかわいい子になってくれていただろうか。」
「あきらが生きてくれていたら,あいこも本当に喜んでいるだろうなぁ。」
などと思ってしまう自分がいます。
本当は,今の6年生の子どもとは,自分としては関わりたくなかったのが正直なところです。
でも,本校にいる以上は,仕方のないことです。
あまり子どもたちに思い入れをしないように子どもたちの成長を見守っているところです。