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夢は叶えられずに・・・
精神的にはつらい時間が過ぎました。
何とか自分の担当の授業はこなしたいと思い,努めて楽しくふるまっていました。
しかし,3時間目の授業をしていると,突然武内副校長が,教室の前のドアを開けました。
「先生。すぐに帰って。」
「電話があったんですか。」
武内副校長は,黙ってうなずきました。
「来たな。」
厳しい現実がおそってきます。
子どもたちに,
「みんな本当にごめんね。せっかくみんなが一生懸命直角探しをしていたのに・・・・。
これから, 先生は,帰らないといけなくなりました。
後は,自分たちだけで,教室の中で直角を見つけてノートにまとめて書いておいてください。
他の先生方に迷惑をかけないで過ごしてね。
それから,けがにも気をつけないといけないよ。」
と,言って教室をゆっくりと出ました。
ドアを閉めて廊下に出ると走って研究室まで帰りました。
研究室のコンピュータの電源を切り,コーヒーメーカーの電源を切り,窓をしめて,電気を消して研究室の施錠をして出ました。
廊下を走り,車のところへ向かいました。
途中で誰かとすれ違いましたが,誰かも見えませんでした。
学校と附属病院は,十分もかからない距離にありますが,とても長く感じました。
「眠れない思い抱きしめた夜の数だけ,輝くはずさ。明日を信じ続ける夢の数だけ・・・・・・。」
車の中で,カセットテープが虚しく聞こえました。
病院へ着くと,いつも止めていた駐車場は,満車だったので,奥の駐車場まで行きました。
病室に入ると,妻と妻の両親もあきらのそばにいました。
「あきら!お父さんともう一回買い物へ行こう。向こうへ行っても誰もいないよ。
大好きなお母さんもここにいるよ。
お父さんがだめなら,お母さんとでもいいから言ってよ。」
と,手を握って叫びました。
心電図の波は正常に出ていますが,まっすぐな線になりかけると,医者が来て,注射をします。
注射をすると,波が正常に戻るということを繰り返しました。
最初は,1時間に一度くらいのペースでしたが,それが40分に,30分に,20分にと間隔が短くなりました。
ふと妻が,
「先生。あきらは,その注射だけで生かされているのですか。」
「・・・・・・。そうですね。・・・・・」
もちろんそうです。いつこの注射をやめるかが死を迎えることになるのだということは,見てとれました。
昼頃になって洸太朗と涼太朗もかばんをかけたまま病院に来ました。
妻が,家にいてくれている私の両親にも連絡してくれて,年老いた両親が,子どもの小学校へ電話をして事情を話して,タクシーで迎えに行ったのです。
洸太朗と涼太朗は,あきらが悪いとは分かっていましたが,危篤状態まで進んでいるという認識は,なかったようで,少し驚きの表情が見えました。
洸太朗は,しっかりとあきらの好きなうさぎの人形を握ってあきらのベットに置いていました。
涼太朗は,あきらの好きだったガムを左手にそっと握らせていました。
心電図の波と同時に,心拍数を示す数字が160から140,今は,100前後に徐々に減ってきていました。
午後4時40分になりました。
医者が3人病室へ入ってきました。
心電図の波も注射をしても元のように戻らなくなっていました。
「もうだめなのか。」
そう思った瞬間,主治医の先生が,聴診器で,心臓の鼓動を聞いている仕草をして,突然頭を下げて,
「ご臨終です。残念ですが,あきらちゃんは,息をひきとられました。午後4時50分です。」
と,告げました。
「ワァー!」
と,いう病室に響きわたる声で涼太朗が泣きました。
洸太朗は,病室を飛び出して行きました。
病室全体が悲しみに包まれました。
結局,あきらは,午後4時50分に息をひきとりました。
最後まで意識は戻らずに・・・・・。
あと一度でいいから「お父さん。」と言って欲しかった。声が聞きたかった。笑顔が見たかった。その願いは,最後まで叶えられることはなかったのです。