「学校」・・・・に想うこと
「学校」と聞くと,木造の古びた2階建ての校舎とトーテムポールの立ち並ぶ山の小学校の風景を思い浮かべる。
近代的な校舎の学校も通ったのに,何故かイメージしてしまう。
子どもの頃,親や先生を困らせた。
年老いた母は,今でも顔を合わすたびに,
「ちゃんとまじめにやっていますか。」
が口癖である。
私は,ただ笑ってごまかすだけである。
学校の教師をしていた両親の勤めの関係で,小学校3年生まで,四国の真ん中にある山の学校で過ごした。
母親とは同じ小学校。
担任の先生は,お世辞にも美人とは言えないが,若くて元気な女の先生だった。
ある日,運動場で体育の授業をしていたとき,先生をいつものようにからかっていたら,校舎の方から見慣れた人が歩いて来る。
正方形の体型をした母親である。
これは,まずいと思ったときには,もう遅い。
母親に首根っこをつかまれ連れていかれ,こっぴどく叱られた。
また,3年生の算数の参観日のときのことだ。
計算問題を解いて先生に点検をしてもらうのだが,計算がとても得意な私は,次から次へと問題を解いていく。
先生も出す問題がなくなって,
「席に座って待っていてね。」
の一言。
それに,おこった私は,教卓の上に座り込んだそうだ。
母親は,同じ学校に勤めていたわけだから,どんなに肩身が狭かったことか。
他にもエピソードは,数限りなくある。
でも,今では,何も気にしないで自由に生活をしていたあの頃が懐かしい。
そして,今。
「学校」という空間の中で,子どもたちと過ごす時間は,自分に貴重な「学習」の場を与えてくれる。
いろんな面で子どもを裏切ることのない教師でありたいと思いながら,今も「学校」に通っている。