ランドマークを見つけよう
戻る
同じ娘を亡くした悲しみに
自分の車で官舎まで「あきら」を連れて帰るときは,放心状態でした。
車に乗っている者は,みんな無言でしたが,ふと街並みを見ているとあきらと手をつないで,街を歩いて買い物したことを思い出しました。
広島駅に近づくと,あきらと来たことを思い出します。
「いけませんね。何を見ても思い出してしかたないです。」
ともらすと,武内副校長先生が,
「そらあそう。これは,一生続くよ。私も今でも娘のことが忘れられない。」
「そうでしょうね。一生忘れないでしょうね。」
そんな会話を呆然した気持ちで話していました。
仕事以外で武内副校長と話すことは,今までそんなに機会がありませんでした。
娘さんを交通事故で亡くされたことを同僚から聞いて知っていましたが,
「かわいそうだな。」と思う程度で,どんなに自分にとってつらくて苦しいものかの共感はできていなかったように思います。
同じような境遇になって初めて知ることになるのだと思いました。
「かわいそう」なんていう言葉で片付けられたらたまらないでしょう。
小学校の授業で「共感」なんて言葉を簡単に使っています。
でも,子どもたちは,本当に理解はできていないと思います。
例えば,大地震や火災で,また,交通事故で肉親を失ったことや,目の不自由な人に対する福祉の問題などなど・・・・・。
「かわいそうだ」なんて言葉で共感できたら大間違いだと改めて思いました。
武内副校長先生も涙をためながら,話されていました。
今回のことがあり,3年前,名古屋で娘さんを交通事故で突然,亡くされたことをまた鮮明に思い出されていたのかも知れません。
「すみません。自分のことでまた,思い出させて。」
「そんなことはないよ。娘は,いつも私とここにいて,話しているんだよ。」
さすがに武内副校長先生は,何かを乗り越えて,自分とは違う次元にいるように感じました。