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小雪の降りしきる中で・・・・
病院から外に出ると知らぬ間に雪が積もっていました。
広島は意外と雪がよく降ります。
雪で遊んでいたあきらの顔が思い浮かびます。
「こんなに雪が積もったら,あきらは,喜んで外で遊ぶだろうね。」
と妻に言うと,
「・・・・・。」
涙をいっぱいためて泣いていました。
車のところへ行くと,フロントガラスに雪がすでに積もっていて半分凍結していました。
エンジンをかけてエアコンを入れて,暖めることにしました。
車の中に2人で座りました。
それまで,子どもが3人いたときは,妻は,いつも真ん中の列のいすに座っていました。
一番前の助手席は,二男の涼太朗が座ります。
涼太朗は,車が苦手で長いドライブをすると車によく酔ってしまうので助手席が一番いいということになっていました。
洸太朗もそのことをよく理解していて,洸太朗が長いドライブのときには,涼太朗に譲ってあげるようにしていたのです。
そして,洸太朗は,母親の右横に座ります。
あきらは,ふだんは使わないセカンドシートの補助いすが大好きでそこにいつも座っていました。
言うならば補助いすは,あきらの専用シートになっていたのです。
スライドドアを開けると,すぐに補助いすが目に入ります。
荷物を入れるためにドアを開けて,荷物を入れた後で,妻は,珍しく助手席に座っていたのでした。
子どもが生まれてからは,助手席にあまり座ることのなかった妻が今,横に座っていました。
目頭をフェイスタオルで押さえて,泣いているばかりでした。
「なんであきらなんじゃろうか。なんでや。」
そんな言葉しか出てきませんでした。
まもなく,フロントガラスが凍結していたのもとけてきて視界がひらけてきました。
「それじゃ,帰ろうか。」
と官舎に向けて出発しました。街は,一面の雪景色でした。
「今晩のことは,一生忘れないね。・・・・・いや,忘れちゃいかんよ。」
「何年たっても12月17日の誕生日には,誕生祝いをやってあげるんだから。」
「何言ってるの。もう死んだみたいに言うなよ。」
そんな会話が続きました。
広島でもめずらしい豪雪になりそうな予感がしました。
こんなに雪がふると,いつもの年なら,スキー場に行って子どもたちにもスキーやそりの雪遊びができるのでとてもうれしいのに,あきらの涙雪のように感じて,さみしい雪でした。
「あきらを小児病棟に移してやる?」
「・・・・・もうあきらと離ればなれになるのは,いや。少しでもいっしょにいたい。」
「そうだね。よし。・・・・・明日そのことを伝えよう。」
「・・・・うん。」
と妻も答えました。
治療している子どもの姿を目の当たりにしていた私たちには,これ以上あきらを集中治療室で苦しめることはしたくなかったのです。
雪の降る中を官舎まで帰りました。
私たちまで生きる支えが無くなったようで,これからどのように生きていけばいいのか・・・・。
その夜は,夫婦二人で一睡もすることができずに,長い夜を過ごしました。
翌日,面会に行きました。私は,医者に,
「最後に聞きます。あきらの助かる可能性は,0%なんですね。」
医者は,黙ってうなずきました。
「分かりました。あきらを小児病棟に早く移してください。」
と告げました。
その結果,26日に小児病棟に移すことになりました。
すぐ側で,夫婦であきらをしっかりと目に焼き付けるとともに,最期は,みんなに囲まれて見届けてあげることにしたのです。
その夜遅くなって松山に住む両親に電話をしました。
「あきらを明日,小児病棟に移すことにしたから。こちらに来て最期を見てやって。」
「そう。分かった。明日の始発のフェリーで行くからね。最後まであきらめたらだめよ。」
「ありがとう。こんな年になっても親不孝でごめんね。」
「・・・・。あんたがしっかりしないといけないよ。絶対にあきらめないでね。」
「分かってるよ。ありがとう。寒いからじいちゃんもばあちゃんも体に気をつけてよ。」
と言って電話を切りました。
私は,小さい頃から悪さばっかりして両親にはとても迷惑をかけてきました。
自分の愛する人と,幸せな結婚をして,3人のかわいい子どもに恵まれて,やっとこれから親孝行をできると思っていたのに・・・・。
いつまでたっても親不幸なことばかりで,自分が情けなくなりました。