ランドマークを見つけよう。  ランドマークを見つけよう   最愛の娘「あきら」です。  戻る



    見送られて病院を出る「あきら」



 「わざわざすみません。」
 「今回は,たいへんだったね。何と言っていいか分からないが・・・・・。言葉もありません。」
 とても涙もろい大槻校長先生が,すまなさそうに肩を落とされていました。


 「こんなときに何だけども,葬式の手配をしないといけないね。」
 「そうですね。でも,広島のことは,全然分からないので,どうしたらいいか・・・・。」
 実は,武内副校長先生は,3年前,不慮の交通事故で,当時20歳になる娘さんを,亡くしているのです。
 どこで葬儀をするのか,いつするのかという現実的な話がさっそくおそってきたのです。
 武内副校長先生を頼って,同じ場所で葬儀をさせてもらうように手配をしました。


 広島市の安佐南区にあるセルモ玉泉院に電話をして係の人に家の方へ午後8時に来てもらうことになりました。
 あきらを大きなバスタオルでくるんで,病院から遺体を運び出すことになりました。
 顔は,冷たくなっていますが,まだ弾力があり,今でもすぐに話し出しそうな感じでした。
 妻は,あきらにさわりながら,その場から離れようとしませんでしたが,
 「早く家へ連れて帰ってやろう。」
 と促しました。


 妻が,あきらをしっかりと抱きかかえて,エレベターで降りました。
 私は,車を玄関にまわすために先に走っていきました。
 外に出ると,駐車場付近に高校生ぐらいの若者がたむろして,病院のまわりをバイクに二人乗りして,ノーヘルで走り回っていました。
 まわりは,あきらが亡くなろうと,全然変わりのない現実があるのだと改めて思いました。


 車を病院の玄関まで回しました。
 妻があきらを抱いて出てきました。
 後ろから,最後までお世話になった3人の医者と多くの看護婦さんが見送ってくれていました。
 車に荷物をつめて,最後に妻とあきらが車に乗りました。
 いつもの補助いすではなく,妻に抱かれているあきらを見て,また涙があふれていました。
 葬儀のことがあるので,武内副校長先生が車に同乗してくれました。
 両親や長男と二男は,先にタクシーで帰っていました。
 寒い夜でした。
 「いろいろとお世話になりました。」
 と深々と礼をして病院を車で出ました。



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