ランドマークを見つけよう。  ランドマークを見つけよう   最愛の娘「あきら」です。  戻る




    「あきら」の生まれ変わりを





 ある日,長男と二男の2人を家に残して,買い物へ出かけました。
 長男も二男も親といっしょに買い物へ行くよりも,休みの日は,友だちと遊んだり,テレビゲームをして遊んでいるのを好むような年頃になっていました。
 あきらがいたときは,3人でよく買い物へ出かけていましたが,今では,妻と2人で出かけることが多くなりました。


 「もし,あきらのような子ができるのなら,もう一度生んで育てたい。」
 ふと,車の中で妻がもらしました。
 私は,うれしくて思わず「にこっ。」と笑いました。
 「本当にそんなに考えてくれていたの?実は,俺も考えていたんよ。でも,あきらに何か悪いような気がして自分からは言い出せなかった。
  お前が,そんなに思っていてくれてたなんて本当にうれしいよ。」


 お互い同じようなことを思っていてうれしい気持ちになりました。
 あきらを失って以来,悲しみに包まれた我が家に少しでも光を与えてくれる存在がほしいと思うのです。
 また,あきらが生まれ変われるかも知れないなんて淡い期待もしたい気がしました。


 「お前も今年37歳だよね。出産するにしたら38になるもんね。」
 「そうよ。もう歳だから・・・・。
  それに,またこんなことがあったら恐いし・・・・。」


 家の子どもたちは,高熱を出すと熱性痙攣を起こす私の体質の遺伝を受け継いでいるようでした。
 長男の洸太朗も一回しかありませんでしたが,1歳のときに熱性痙攣を起こしました。
 私たちも,初めての体験で夫婦で慌てたことを思い出します。
 何をしたらいいのか,舌を噛み切ったりしないのだろうか,夫婦で戸惑ったことをつい昨日のことのように思い出します。
 二男の涼太朗も同じようなことがありました。
 痙攣止めの薬も幼稚園の年少のころまで,飲んでいたこともあります。
 「熱性痙攣で死に至ることはありません。」
 と医者に言われてもあきらのことがあって不安な気持ちもありました。
 今年で37歳になる妻は,今さら出産するなんて思いもしなかったことでしょう。
 妻の体だって心配だし。
 私は,子どもができても40歳になってしまいます。
 男では,40歳でも子どもができるのは珍しくないでしょう。
 でも,子どもが成人する頃には,60歳になっていることを想像すると自信がない気もしました。


 でも,そのような気持ちになってきた妻が少しずつ立ち直ってきてくれている喜びがありました。
 「生まれ変わる」・・・・・そんなに単純なものではないでしょう。
 でも,私たち夫婦が,そのように思うことで,あきらに対して,たった4年しか,かかわれなかった償いが少しでもできるのではないかと考えていました。


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