ランドマークを見つけよう。  ランドマークを見つけよう   最愛の娘「あきら」です。  戻る




    雪から晴天へ。葬儀の日





 葬儀の当日は,前日までの雪がやみ,晴天になりました。
 午前10時ということでしたが,昨日は,なかなか寝付けなかったので,頭がボーとした感じでした。
 受付では,通夜の時と同じようにたくさんの保護者や教官が待機してくれていました。


 「本日もよろしくお願いします。」
 と,妻とともに挨拶にいきました。
 私の受け持っている学年の庶務部長をしている正戸さんと佐藤さんが言葉を失ったように悲しみの表情で立たれているので,迷惑をかけている上に悲しみまで与えたような気持ちになり,自分が情けなくなりました。


 しばらくすると,公私ともにお世話になっている伊東亮三先生が,わざわざ挨拶に来てくれました。
 伊東亮三先生は,広島大学教育学部の教授をされていた方で,我々社会科教育を志す者にとっては,雲の上の存在にある方でした。
 伊東先生は,附属小学校の前校長先生でもあられました。


 「今回は,たいへんだったね。私も昨日聞いて,今とんで来たんですよ。
  あなたが,しっかりとしないといけないよ。」
 とあたたかい言葉をいただき,ただ頭を下げるだけでした。


 3年前の4月に現在の学校へ赴任したときに,妻とあきらを連れて先生の家へ挨拶に行きました。
 あきらが,ソファーで喜んでジャンプするのを伊東先生は,孫のようにかわいがってくれました。
 そんなことが思い出されてまた,気持ちが動揺していました。


 住職さんのお経が始まりました。
 お経を聞きながら,あきらの思い出が頭の中をぐるぐる回っているようでした。
 あきらが自転車に乗ってこちらを見て笑っているところ,部屋の中で,歌を歌って元気に踊っているところ・・・・。
 次から次へあきらが思い出されては,すぅっと消えていくのが余計につらく感じました。
 そして,お焼香に入ると,通夜に引き続き,多くの方が参会してくれていました。

 進行の方が,
 「それでは,親族を代表して關 浩和様にお礼の言葉を述べていただきます。」
 と,案内されました。
 通夜と違って今度は,少し長く話をするように言われていました。
 通夜のときもそうでしたが,どんなお話をしたらいいのかなんて考える時間もありませんでした。
 その時に思いついたことを言えばいいだろう,なんて安易に考えてもいました。
 でも,その場に実際に立ってみると,みんなの顔は見えなくて,あきらの顔が頭から離れず,どんなことを話したいのかも思いつきませんでした。
 心の中のもう一人の自分が,
 「しっかりせんかい。」
 と言ってくれて,何とか話を切り出しました。


 「本日は,本当にお忙しいところ娘のあきらの葬儀に参列いただきまして本当にありがとうございました。
  あきらは,平成4年12月17日に愛媛県の松山市で生まれました。
  生まれたときは,体重が2,610gというとても小さな子でしたが,大きくなるにつれて,母親に似て,とてもやさしくて,かわいくて,明るい子どもになりました・・・・・。
  私は,今まで一度もあきらを叱ったり注意したりすることがないほどしっかりとした子で・・・・。」
  と言うと,涙が止まりませんでした。

  また,心の中のもう一人の自分が,「しっかり最後まで言わないと。」と,言い聞かせました。
  「・・・・自分たちの宝物であるあきらが亡くなって自分にも希望がなくなりました。
   これから何をやったらいいのか,何のために働けばいいのか分かりません。
   残された私たちだけでは,これからは何もできません。
   みなさんどうかいろいろと助けてください。
   よろしくお願いします・・・・。
   本日は,本当にご迷惑をおかけしました。
   お世話になりました。」
  と,何とか最後までお礼を述べました。


  「それでは,關 あきらちゃんの生前を忍び,これからあきらちゃんの生い立ちをビデオでご紹介させていただきます。」
  と言うと,前にスクリーンが降りてきました。
  音楽が流れると,あきらが病院で生まれて元気に泣いている写真が映されました。
  もう悲しみを通り越えて,呆然としていました。
  涙は,止めどもなく流れてきます。
  妻も肩をふるわせ,両親も,みんなもあきらのことを思い出しているようでした。
  お祭りのときの着物の写真,七五三のお参り,ひなまつりの写真,松山の私の実家での笑い顔,そして運動会での鉄棒のぶら下がりの写真などなど。

  次から次へと思い出が走馬燈のように駆けめぐりました。
  ビデオが終わると,生花を棺桶に入れるようになりました。
  これがあきらを見るのが本当の最後になります。
  顔をさわってみました。
  冷たくて,硬くなっていましたが,表情は変わっていません。
  自分の目にしっかりと焼き付けておこうと思いました。
  生花をあきらの顔の横に置きました。
  妻は,いつまでもその場から離れようとしませんでした。
  生花を持って多くの方があきらに捧げてくれました。
  たくさんの保護者の方や同僚,近所の官舎の人たち,友だちがいてくれたので,次から次へと人の列が絶えることなく続いていました。
  私は,一人一人に礼をしながら,「これで本当の別れになるのかな・・・・。」とあきらとの最後の別れを心の中でしていました。



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