ランドマークを見つけよう。  ランドマークを見つけよう   最愛の娘「あきら」です。  戻る


   それは,突然やってきた



 「あきらちゃんは,お父さんの何ですか?」
 「たからもの。」
 「そうよね。た・か・ら・も・のよね。ははは・・・・・・。」
 そう言って,両手で高く持ち上げると何とも言えない笑顔で応えてくれます。
 これは,毎日,私と四歳になる最愛の娘「あきら」のあいさつ代わりの会話でした。
 今では,もう二度と永遠にできなくなってしまいました。



       

 1997年は,自分の人生を大きく変える出来事がありました。
 厳しい寒さの続く中,今年も例に漏れずインフルエンザが猛威をふるっているニュースが連日,テレビ,新聞をにぎわしていました。
 私の勤めている学校でも学級閉鎖も出始め,インフルエンザのために何名も欠席者が出ていました。


 その日は,おだやかな春を思わせる1月19日の日曜日でした。
 日曜の朝は,ハムスターの小屋の掃除をすることになっています。ハムスターの小屋にしいている新聞紙やわらを代えたり,巣箱を洗って,
 新しい寝床に新しい新聞紙を入れてやるのです。掃除をするのは,長男の洸太朗と二男の涼太朗が一週間交替で当番のようにしてやっています。
 掃除をすると,古いわらや新聞紙が出ます。それを官舎にある焼却炉へ持って行って焼きます(当時は,焼却炉が設置してあり焼却が可能でした)。
 その担当は,私と娘のあきらと決まっていました。
 その日も,洸太朗が掃除をして出てきたごみをあきらと二人で手をつないで焼却炉があるところまで階段を降りていきました。

                                 あきらの大好きだったハムスターです。

 焼却炉のところに着くと,あきらは,決まって焼却炉の横にある花壇のチューリップやスイセンが,育っている様子を見るのが楽しみでした。
 昨年の11月頃に妻と二人で球根を植えていたのです。あきらは,花が大好きで名前もすでにいくつか覚えていたほどです。
 あきらにとっては,自分が植えたチューリップが咲くのをとても楽しみにしていました。


 また,あきらの一番の楽しみは,買い物へ行くことでした。買い物へ行ってお菓子を買ってもらうことが楽しみだったのです。
 「あきらちゃん。お父さんと今日,ビッグへ買い物に行く?」
 「うん,いいよ。ヤッター。」
 と,飛び上がって何とも言えない笑顔でいつも反応をしてくれます。
 焼却炉で紙ごみを焼いた後,官舎のまわりを散歩するのも楽しみの一つでした。
 「公園へ行こ。」
 と,すぐに言うのですが,寒い時期なので,
 「あたたかい春が来たら,また行こうね。」
 と,なだめていました。
 でも,悲しそうな顔を見ると,手をつないで官舎のまわりを二人で散歩をしていました。
 でも,まさかその日が最後の散歩になるとは・・・・。


 その日は,とてもあたたかい冬の日で,昼間は,3人の子どもたちも元気に外で遊んでいました。
 私は,いつのように,昼ごはんを食べると眠くなってこたつでうとうとしていました。
 そして,知らぬ間に夕方になっていました。


 それは,突然やってきました。


 「お父さん。あきらの様子がおかしい。」
 と,長男の洸太朗が私の部屋まで呼びにきました。熱性痙攣で意識を失ったようでした。
 今までも二度ほど熱性痙攣があったので,また同じようになったのだろうと思っていました。
 でも,いつもよりも長く痙攣が続いていたのです。
 「救急車を呼んで!」
 妻は,今までとは違った異変に気づいていたのです。
 「早く。救急車を呼んで。それから,堀口さんにも連絡してみて。」
 と叫んでいました。堀口さんは,同じ官舎に住んでいる附属病院に勤めている方でした。
 11月のある夜に,熱性痙攣が起きたとき,わざわざ一度部屋まで来て,看てもらったことがあったのです。
 堀口さんに連絡してみました。電話が通じません。外の駐車場を見てみると車がありません。
 家族でどこかへ出かけているようでした。もうせっぱ詰まっていて救急車を呼ぶことにしました。
 その間どのくらいの時間だったでしょう。あきらは,意識なく痙攣を起こしていました。


 この後,どんなことになるのかその時は,想像もつきませんでした。 


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