嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                


 大学と学校現場の架け橋に

31期生のみなさん,修了おめでとうございます。
今後ますますのご活躍を期待しております。

2011年3月11日の東日本大震災は,自分のこれからの生き方にも少なからず影響を与えているような気がしている。
社会科教育を語る中でも明確に気持ちが変わってきた。
不思議な感覚でいる。
3.11以降,今,何とか元気で生かされているという現状に感謝しながら,53年の人生を振り返ってみることが多くなってきた。
これまで関わってきた方とのつながりや絆を今まで以上に大切にしたいし,これから関わる人たちともその縁を大切にしたいと純粋に思っている。
本学で明確にやりたいという目標や野望は特にない。
本学にいる自分の役割は,大学と学校現場の架け橋になることだろうと思っている。
大学教員の重要な仕事は,主に講義を通して,学生に,専門的知見を提供することである。
教科教育分野に籍を置いている以上,理論だけでなく,できる限り,その実践的な面での知識やスキルを提供できるようにと心がけている。
その内容は,自分自身の個別の研究成果を含めて,一般的に,専門領域では常識とされているような知識やスキルが多い。
いわば,概論的な教育の隙間に,何とか自分の研究成果を組み込んで,さらに,学生に演習や実習という形で,実践してもらうことが重要な位置づけになっている。
学生に常に言っていることは,偏った理論や知識にとらわれることなく,多様な見方や考え方をもって,しかも鋭く冷静に深く切り込む,マクロとミクロの使い分けを常に意識することの必要性である。
また,教科教育の特性上,授業実践の事実に基づいて語ることの必要性である。
実践経験のほとんどない学生には,専門的な研究成果を学ぶことの重要性や学びの必然性はなかなか伝わりにくい面はある。
でも,とても意欲的な学生に恵まれている。
他大学だと学部生相手が中心になるのだろうが,本学ではほとんどが院生相手が中心である。
その環境が実にいい。
本学を去り,他大学へ異動される方も多いが,若いうちに異動される方の気持ちが理解できない。
自分にとって本学以上の環境はないのではないかと心から思っている。
もちろん,純粋に居住環境においては,創立以来ほとんど建て替えもなくそのままの研究棟には悲しい現実もある。
官舎にしてもひどいものだ。
未だに20年前のような風呂やトイレなど・・・・。
住んでいる教職員も不満も言わずに住んでいる。
そして,何一つ声もあがらない。
前任の広島にいた時は,同じ官舎に住んでいたが,要望を聞き入れてくれる機会もあり,快適に過ごせていた。
でも,ここでは,その要望の機会さえない。
自分は好きで赴任しているので仕方ないが,家族のためにも水回りだけでもきれいにしてほしいと願う。
でも,言ったところで何も変わらない。
その原因は何か。
それは,大学の幹部クラスの方はほとんど住んでいない。
事務方のトップにしても住んでいたとしてもすぐに異動して離れる。
ずっと長く居住している者なんて少ないのだろうと思う。
長く住んでいてもただ我慢しているだけなのか。
文句があるのならば出て行け。
そんなように感じている。
だから居住環境はあきらめている。
でも,そんなマイナス要因があっても,今の仕事環境を愉しむことができている。
各種研究会や研修会,講座に呼ばれて講演をすることも年々かなり増えてきた。
関西圏はもちろん,中国や北陸圏にも出かけている。
大学での授業に比べて,また違った雰囲気で,楽しく話すことができる。
それは,相手が現場の先生だからである。
日々,授業に関わっている現場の先生方のニーズに適合しているのだろうと思う。
このように振り返ってみると,大学教員として,研究室内だけでなく,大学の内外を走り回っていることの方が多い。
特に後期は,現場の研究会や研修会の開催が多く,さらに,教職大学院の院生の5か月にも及ぶ実地研究も設定されているので,学校現場を訪れる機会が多い。
このような機会において,自分の中で,何よりも励みになるのは,学習者である子どもが,伸び伸びと,しかも確かに成長している姿を目にする時である。
結局,どのような領域の研究でも,教育分野の研究は,目指すところはほとんどそこに行き着くのではないかと改めて思っている。
特に,検証の場となる学校が苦労しなくても手に入る環境にある現状に感謝するとともに,さらに,自分自身の研究成果を深めていくことの必要性を感じている。
担当している大学の講義や学校現場の研究会や研修会で,有意義な話を提供したい。
そのために,日々の研究内容の充実がより問われている。


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