嬉野関係](大学院社会系コース同窓会誌)                

 新たなステージに

42期生のみなさん,修了おめでとうございます。
今年度は,妙見健太郎さんと有意義な時間を過ごすことができたことに感謝をしています。
妙見さんは,本学学校教育学部の卒業生で昨年度まで南埜猛先生のゼミ生でした。
兵庫県立播磨南高等学校から現職派遣で来られた立場で,社会科に関する基礎的・基本的な素養はもちろん,高等学校「歴史総合」に関する知見も有しておられました。
令和3年に南埜猛先生が逝去され,令和4年4月から1年間ではありましたがゼミに所属されました。
今後,修士課程で完結するのではなく,「歴史総合」分野で日本をリードしていく研究者になるという気概をもって,今後ますます学校現場で理論と実践の融合を具現化されていくことを期待しています。


令和新時代とともに始まった新型コロナウイルス感染症のパンデミックは,3年が経過し,マスク生活をスタンダードにした。
さらに,2月のロシアのウクライナ侵攻は,日本国内外の政治の劣化や国連にシンボライズされる組織のあまりにも表面的な体裁だけのいい加減さを露呈している。
日本を取り巻く世界情勢は急激に変化し,タレントのタモリさんが令和4年1228にテレビ番組「徹子の部屋」で発言した「来年は新しい戦前になる」というフレーズは,現実味を帯びてくる予感がしている。

令和4年12月に,これまで公私共にお世話になった星村平和先生が逝去された。
星村先生は,社会系教科教育学会の初代会長であり,私が9期生として入学した昭和631988)年の教科教育分野に,在籍されておられた。
「平和」という名前が印象的で,附属幼稚園の園長をされていた時に,平和教育特集の記事の中で,園児を連れて歩いている写真が神戸新聞で紹介されて,その時の笑顔が今でも忘れられない。
M2生となる平成元(1989)年に社会系教科教育学会が設立されるが,星村先生は,国立教育政策研究所に異動された。
私を含めて他都府県に住む院生は,単身寮や家族とともに世帯寮に住んで,24時間大学キャンパス内で切磋琢磨していた。
体を動かすことが何より好きで,ソフトボールやバドミントン,スキーなど仲間と一緒に今から思うと夢のような時間を過ごしていた。
特に,30歳になって始めたスキーとバドミントンは,その後も愛媛や広島でも同僚を誘って腕を磨いていた。
何より「社会科漬け」になっていった喜びを感じていた。
社会科教育に関する見識や自分の知識のなさ,県や校種が違うと学校も授業も全く違うことなど。
情報交換できたことがその後の糧になったことは間違いない。
平成182006)年からは,本学の教員として全国をリードする兵庫教育大学の教職大学院の立ち上げに参加した。
これまで17年間が経過している。
小学校教員養成特別コースに所属していたので,兼担である社会系コースとは当初から全力投球できないような微妙な立場で様々な葛藤もあったが,所属してくれたゼミ生には,「社会科」とは何のために存在し,どうあるべきなのかを少しは伝授できたのではないかと思っている。
令和4年の星村先生の逝去という事実は,あまりにもショックが大きい。
星村先生=平和であり,先生が亡くなられたことで平和が脅かされている今の状況のさらなる悪化を危惧してしまう。
しかし,兵庫教育大学は,令和4年3月に文部科学大臣から「教員養成フラッグシップ大学」の指定を,12月には,教員養成系大学の中で初めて「国立大学改革・研究基盤強化推進補助金(国立大学経営改革促進事業)」の採択を受け,名実ともに教職大学院のトップリーダーとして,確実に新たなステージに突入している。
Society5.0
の時代に適応したEdTechSTEAM教育が求められている。
今の時代だからこそ,社会科が果たす役割は,これまで以上に重要である。
平和な民主主義国家だからこそ市民の自由が保障されている。
民主主義社会の担い手となる子どもを育てていくために,新たなステージで,修了生や卒業生が社会科はすべての教科のコアであり基盤であるという気概をもって取り組んでくれることを期待している。


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