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飛鳥時代とは,どんな時代かな? 飛鳥時代のポイントは?

 6C後半~7C半ば頃が中心です。つまり,593年聖徳太子が摂政となり,平城京が造営されるまでの時代です。

大和政権の動揺

 物部氏と蘇我氏の対立は,崇仏論争や皇位継承問題がからみ武力闘争となる。

                      対立   

<大連>物部尾輿(もののべおこし) VS 蘇我稲目(そがのいなめ)<大臣>

   軍事や裁判を司っていた。     経済や外交を司っていた。

     <排物派>             <崇物派>

       ↓                   ↓

      物部守屋      VS       蘇我馬子  

6C末 渡来系の豪族と結びつき,仏教をさかんにした。政治の実権を握る。

蘇我氏の系図

 稲目--------馬子--------蝦夷(えみし)--------入鹿(いるか) 

 蘇我馬子は,女性の推古天皇を即位させ,推古天皇は,聖徳太子を皇太子に立て,摂政として政治にあたらせる。蘇我馬子の権力の大きさを示すもの。・・・・石舞台古墳

聖徳太子の政治

 聖徳太子は,他にも次のような名前があります。「耳」が関係しているようです。

 「耳」がよい・・・・・人の意見をよく聞くということか。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)・豊聡耳(とよとみみ)・上宮王(かみつみや)・豊聡耳聖徳・豊聡耳法大王

593年 聖徳太子,推古天皇の摂政となる。

 天皇を中心とする中央集権国家をめざして,蘇我馬子と協調しながら政治改革に乗りだす。

603年 冠位十二階

・ 氏姓制度の世襲制度を打破し,個人の功績による人材登用をめざした新しい官僚制度。

604年 十七条の憲法

・ 豪族に対する官吏としての心がまえを説いた道徳的訓戒。現在のような憲法ではない。

607年 遣隋使=小野妹子

・ 隋との対等積極性外交による百済・新羅への威圧。

大化の改新

 645年6月12日。ク-デタ-は実行されました。この日,中大兄皇子・中臣鎌足・蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)らは,計画通り,蘇我入鹿を飛鳥板蓋宮大極殿(あすかいたぶきのみやだいごくでん)におびき出し,暗殺したのです。翌日には,父の蘇我蝦夷も自宅に火を放って,自殺をします。こうして改新政治が出発するのです。

645年 大化の改新

・ 天皇を中心とする中央集権国家の建設が始まる。

飛鳥と言えば聖徳太子ですよね。  

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