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平氏の栄華 平氏の栄華

 保元の乱・平治の乱を勝ち抜いた平清盛は,武家の棟梁として地位・権力を高め,1167年,武士としてはじめて太政大臣となり政権を握った。同時に長子重盛が内大臣になるなど,一族で高位高官を独占した。さらに清盛は,娘の徳子を高倉天皇の中宮とし,徳子が生んだ安徳天皇の外祖父となった。また,荘園・知行国の多くが平氏に集中して政権を支える経済的基盤となった。平氏政権は武士政権であるが,従来の国家組織に寄生した政権であるため,貴族的な性格が強い政権である。しかし,大輪田泊の修業音戸の瀬戸開削など瀬戸内海航路を開発し,日宋貿易を推進するなど,斬新な政策もみられる。


■ 平氏の栄華

  平清盛の一家のものたちといえば,名門の公家たちでも対等につきあえない。だから清盛の妻の弟,平時忠卿は「此の一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし(この平家一門でない者は人ではない)」とさえ言った。・・・・

 清盛自身が栄華をきわめただけでなく,一門そろって繁栄し,嫡子重盛は内大臣の左大将,次男宗盛は中納言の右大将,三男知盛は三位の中将,嫡孫(重盛の子)維盛は四位の少将となり,すべて一門の公卿は16人,殿上人は30余人,諸国の受領や衛府・諸司の役人を加え合わせると60余人に及んだ。まことに世の中には平氏以外に人はいないように思われた。日本全国わずかに66カ国,そのうち平家の知行国は30余国で,全国の半数をこえている。そのほかに平家の庄園・田畠は数知れぬほど多い。御殿は美服を着かざった人々で満ちあふれ,門前は車馬が群れて市のようなにぎわいである。(以下略)

〔平家物語〕


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